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■2008年3月10日(月) Vol.720

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【選手紹介:その21】
【Jr.:竹田明】
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沓掛さんよりバトンを頂きました名古屋同好会の竹田です。 選手歴は高槻Jr.11期、本部Jr.1期です。
名古屋には雀鬼会はないので 皆、高槻リーグに参加させて頂いております。 私はご紹介にありましたように 前期初めて本部リーグへ参加させて頂きました。 (来期もその予定!)
私が会長や雀鬼会の事を知ったのは11年前、 学生麻雀仲間の部屋でなんとなく読んだ近代麻雀ゴールドです。 会長のあまりに強くてかっこいい姿に感動し
「俺、今日から雀鬼流で打つ!」
と喜び勇んで友達に話したのを覚えています。 そして…、負けまくりました(笑) でもどんなにバカにされてもやめようとは思わなかった。 それはどこかで  「道の正しさに生きたい」  と思っていたからかもしれません。かなりオーバーですけど…
その後名古屋で就職して数ヶ月経った頃、 町田道場で無料体験卓があるのをゴールドで知り、 思い切って行ってみることにしました。
ガチガチに緊張していた私に 当時町田でスタッフをされていた道場長が
「飲みものなんですけど、麦茶と麦茶と  え〜麦茶がありますが、何にしますか?」
と言って笑わせて緊張をほぐして下さり、 楽しく麻雀も指導して下さって、 その日はホクホクの気分で帰路につきました。
そして  「ヨーシ!」 とまた思い切って その年の全国大会(第5回)に愛知一般で申込み、 そこで名古屋にも 『風』 という 会長に名付けて頂いた道場があるのを知り、通い始めたのです。
風ではすでに高槻Jr.選手だった紙崎さんや奥井さんと出会って いろいろ教えて頂き、通い始めて半年あまりで高槻Jr.選手となり、 そこからはアッと言う間に時間は経っていきました。
当時心の中にあった会長のお言葉は
「麻雀だけ強くなろうたってそうはいかない」です。
だから高槻で開催される花見、運動会、キャンプ等の 麻雀以外のイベントにもよく参加させて頂いてました。
そんなこんなでアガリ性の私も 少しずつ鍛えられ積極的になり、 本部の方々との触れ合いの中で 本部に行きたいという気持ちが高まって、 またまたまた思い切って本部Jr.予選を受け合格し、 名古屋から本部へ通うこととなりました。
途中で辛くなるかなと思っていましたが、なりませんでした。 それはやっぱり楽しかったから。 町田の月例会によく一緒に行く水谷や秋葉さんからも 「楽しかった、また行きたい」 という言葉が返ってきます。 会長や志村師匠を中心にいろんな球が飛び交って本当に楽しかったです。
うって変わって麻雀の方はとても厳しかったですね。 その分やりがいがありました。
厳しさと楽しさが両方ある本部は最高です! 本部へ通える状態を出来るだけ長くすることと、 雀鬼流で知り合った方々との関係は ずっと大切にしていきたいと強く思ってます。



それでは、同じ志村部屋で色々お世話になった スタッフのノックさんに次のバトンを渡したいと思います。 ノックさん、よろしくお願いします。

■2008年3月9日(日) Vol.719

今日の読売新聞の朝刊の一面の 「編集手帳」欄に
「卓球は格闘技だ」
から始まって、早矢香の活躍の裏で 甲野先生と並んで俺のことも書かれていた。
天下のさぁ、大新聞がさぁ、甲野先生はともかく 麻雀の俺のことなんて載せちゃっていいのかい(笑)
俺ん家も読売とっちゃいるが 一ヶ月に一度ぐらいしか目を通さないから 道場生が見せてくれて初めて知った。
麻雀はダメだ、くだらん、 やらねぇ方がいいよと言い続けた俺だが 皮肉な方向に進んでいるよな。
日本の卓球界のためでなく たった一人の闘う少女を 縁あって少しだけ手助けしただけなのに。
まぁ、どっちにしたって 世間様はわかっちゃいねぇよな(笑)

             雀鬼




■2008年3月8日(土) Vol.718

今月は何かと大変だ。 区切りだか、終点だかの雀鬼流20周年パーティはあるし、 大概の事は体験している俺が、生まれて初めて バージンロードとか歩かねばならない。
20周年パーティーは何としてもやりたいという気持ちがあるが、 バージンロードは、俺歩くのかよ、という感じ。 前者は公的な気持ちもあるが、 後者は全くの私事、困ったもんです。
困ったといえば、難敵の甲野先生の 対談本をどうにか通り過ぎたら、 次にこれも難敵な精神科医の 名越康文先生との対談本が始まる。 楽しみの分野もあるが、決して楽な相手じゃない(笑) 一匹狼を気取っていた俺だが、 今や年老いて遠吠えすら吠えられない。
つい先日も昔の知り合いから、 この世の中、危な過ぎるから立ち上がってよ、 と熱のある勘違いの一報を受ける。 危ないのは分かっちゃいるが、 俺はどう転ぶか寝ころがって眺めているよと答えておく。
名越先生とのお相手の折も、 ポカポカ陽射しが差した縁側で、 茶でもすすって話せればいいな。 それにしても何で俺に難しい問題が起きるんでしょうね。
あぁ、もうすぐ春だからか・・・。

             雀鬼




会長の仕事机にて 「俺が新しい会長だ、文句あんのか、やべ〜!!」

■2008年3月7日(金) Vol.717

昔おつきあいがあった映画の監督さんから一文が届いた。
俺がTVで世界卓球の取材を受けた折り、早矢香に
「安定を求めるな不安定になれ」
と述べたことに対して
「勝つために定型を作らず混沌の中に身を置いて  流れの中のひらめきで戦えという意味でしょうか?  定型を作ろうとすれば策を弄することになって、  かえって相手の読み筋に入ってしまう  わけになるのでしょうか?」
まさに俺が言いたかったことを監督が答えて下さっている。
あるレベルまでなら安定も必要だが、 その上を目指すには、安定より、 起きるトラブルを解決する力が必要となってくる。 安定とはある意味、固定化、がんこさにもつながる。 柔らかさが必須である。 ヨチヨチ歩きの赤子は日々何度たりと転んでも たいしたケガもしないが、年老いた者が転べば大ケガとなる。
「僕は勝負事では囲碁しかやりません。  日本では江戸時代になって長い間戦争が無くなった為、  武家社会では囲碁の戦いが盛んになり  定石なるものが生まれ発達したのですが、  これが日本の不幸といわれています。  定石とは会長が嫌われる損得の集大成の如きもので、  日本の碁はここ10年以上世界の中国や韓国に  大分遅れをとっています」
監督がおっしゃる通り、囲碁や将棋の世界には 定石なるものがあるのでしょうが 私がやってきた麻雀は 定石というものが入り込めないゲームなのです。
麻雀を定石としてとらえれば それは全てうそっぽいものになってしまいます。 有るものを追い求めるなら結構なんでしょうが、 存在しないものを追い求めること自体おかしな話なんです(笑)
監督の一文のおかげで、 いつもいたずらばかりのHPに 少しまともなことを書いてしまいました。

             雀鬼




■2008年3月6日(木) Vol.716

今月末に行うことが出来る 我々雀鬼流の仲間達による20周年を期するパーティに 思った以上の多くの方々から参加希望を頂き、 誠にありがとうございます。
我々も当日、 鍵山相談役、甲野先生、名越、林田両先生から どんなお話しが出てこられるのか楽しみです。
第二部の立食パーティも雀鬼流らしい マニュアルにとらわれない場が続出し、 常識を持った方々はひっくり返ってしまうことに なってもそれはそれとお楽しみ下さいませ。
それにしても選んだ箱が小さいので 場内は押し合いへし合いとなること請け合いです。
それも雀鬼流、 皆して譲り合って遊べればいいかなと思っています。
雀鬼流の集いですから、 準備、実行、後始末の三点セットは心得ておりますが、 とにもかくにもマニュアルはなしということで、 その日その時次第で何が起こるかは私にもわかりません(笑)
責任は全て村瀬、多田、花岡の三名が 多分持ってくれるでしょう。
俺、 オレはゲストです、よろしく。
マニュアルといえば甲野先生との今回出版された
「賢い身体バカな身体」
も他の出版物とともに増刷が即決定だったが、 本の中身でも強くマニュアル化を、 否定訴えなさった甲野先生が
「売れればよし」
「結果よければ全てよし」
をガーンとしてぶち当たっていなさる。
能天気な俺ですら、 甲野先生の気持を思うと すいませんという他、致しかたありません。

             雀鬼




■2008年3月5日(水) Vol.715

「お父さん遊ぼう」
と三才になる男の孫が俺の個室に入って来る。 彼が遊びにくればその楽しさを感じてか 一才前の女の子の孫もヨチヨチ歩きで笑顔でついてくる。
俺も昔、毎日四人の子供達と遊んだことを思い出す。 長男が生まれた頃は息子とふれあい、遊びたくて 仕事は一日おきにしか出なかった。
思えば子供が小さかった頃、 風呂も便所も何時も五人で満員状態。 トイレで大の時なんか頭の上に一人、 肩に一人、背中に一人、膝の上に一人で、 出すものも出せずにリタイアしたもんです。
孫がチョコレートの箱を開ける。
「あんなにあったのにない」
と訴えてくる。 先日のバレンタインデーとかで頂いたチョコは いまだ売るほど残っていたが、 子供にはちょっとしかあげちゃいけない ということで後は隠してある。
「誰が食べた、お父さんと温舟のチョコを」
と演技に入る。 孫は誰かのせいにしたくないのか、犬の名前を出す。 子供心に他の好きな人をかばっている。
「ママが食べたな」
とベットの下に隠してある(笑)日本刀を持ち出して 孫の母親の方へ向かう。 後ろから必死に俺の足にしがみついて
「お父さん、ママちがう」
少しやり過ぎかもしれないが(笑)孫がどんだけ 嫁の母親を大切に思っているかを見るのは微笑ましい。 俺の腹ん中じゃ
「いいんだそれで。  その大切に想う気持ちを出来る限り長く続けろよ」
と願う。
6時になると息子が帰って来る。 そこではひとしきり男親と男の子のふれあいと 男同士の遊びがある。父親も孫も目一杯楽しそうだ。 母と子、父と子のそんな姿を眺めている時は それでいいんだぞと嬉しくなる。

元スタッフで天下のガンコもんだった山下ジーコが 風来坊の旅の途中に久し振りに道場に遊びに来ていた。
多分、四年間ほど笑う日もなかったジーコが 楽しそうに笑っている。 たった一人じゃ笑えねぇもんな。
俺だって道場の若い仲間がいるから 腹を抱えて笑い倒れちゃうんだよな。 なぁー、チャッペ。

             雀鬼




■2008年3月3日(月)その2 Vol.714

「今どこだ?」
「中国です」
30分程話す。 元気な明るい声がどんどん伝わってくる。 若いって良いよなー。 身体を精一杯使ったものは良いよな。
「今回は嬉しいことが一杯ありました」
よかった、よかった。
「でも悔しかったです」
やることが又見つかって、良かったじゃねえか(笑)
「あれで銀メダル取ってたら、 俺成田まで迎えに行ったかもよ」
「本当ですか!!」
やった者だけから伝えられる声が響く。 勝てたこと、そして敗れたこと、 本人がちゃんと理解してたんで、 分析力や自覚の有無を感じ取った。
全く別の世界の「老人」と「少女」の中で、 しっかりとした絆があったような気がした。 麻雀と卓球、どこがどう結びつくのか 世間様にゃわかんねえだろうが(笑) それが通じ合うものがあったってことも 不思議かも知んないな。 早矢香もテレビじゃ鬼になったなんて 言われていたけんど、神になるより良かったね。
俺もかつて雀卓の鬼となり、 昔々講談社から「伝説の雀鬼」という本が出版された。 著者である柳史一郎先生から、28枚にわたる 長文のお手紙を頂き、電話を入れる。
大きな元気がある声が返ってくる。 70歳をとうに越えた柳先生が興奮して話される。 何度も何度も、嬉しい、嬉しいお声を頂く。 電話の向こうで先生が息切れしてくるのが分かる。 ここ数年身体を壊わされ、 病と向き合って闘っていらっしゃる。 伝説の雀鬼の生みの親が病に服してなさる。
「桜井さんのことをもう一度書きたかった」
やり通す辛さもあるが、 やりたくても出来ない辛さもある。
柳先生、俺は先生のお気持ちと御縁は 決して忘れちゃいませんからね。
御身体を大切になされて下さいませ。

             雀鬼




■2008年3月3日(月) Vol.713

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【選手紹介:その20】
【Jr.:沓掛紳也】
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川原さんよりバトンを頂いた沓掛です。
道場歴は初めて道場に来させて頂いたとき以来からは13年位、 選手になってからは8年位です。 番外一期、Jr2一期、Jr15期やらせて頂きました。
自分が最初に会長を、牌の音を知ったのは 片山まさゆき先生の漫画 『スーパーヅガン』 で 会長をモデルにしたキャラクター 『桜田門外』 を見てからでした。 その後、町田の近くに住んでいて(当時)町田をブラブラしていた時、 片山先生のイラストの入った牌の音の看板を見て 行ってみようと思って訪問したのがスタートだったと思います。
『牌の音は昔は悪い奴ばかり、その後は病の奴ばかり集まるなぁ』
と、会長のお言葉にありましたが、 自分は丁度 『病』 の方にシフトした頃に通いだしたと思います。 もちろん!?自分も病の流れを作り出した一人だなぁ と痛感することだらけです。
それで10年位通わせて頂いて、少しは良くなったのか?というと、 通えば通うほど、自分のダメなところを自覚させられ、 どんどん悪くなっているような気がしないでもありません。 でも、先日会長のお話に
『病を治すのは無理だよ。少しずつ治めていくんだよ』
と、お話があり、自分の悪いところを自覚して 少しずつ治めていけば良いんだなと思っています。
雀鬼会の麻雀でも審判の大切さをよく言われますが、 卓上でも自分の乱れや弱気、無謀さなどの 弱さや病を自覚して修正することが大切です。 牌の音は卓外でもそういった乱れ等を教えて下さり、 治めるきっかけを頂ける場所だと思っています。
ところで、自分は通道場しはじめた頃は 町田の近くに住んでいたのですが、 今では東京都下に住んでいて、 下北沢駅で電車を降りずに町田道場に向かっています。 『大変じゃないの?』 とか  『下北沢で降りたいとか思ったりしないの?』 と訊かれることもあるのですが、最近は迷いなく答えています。 『町田に行くと会長にお会い出来ることが多いので  全然大変じゃないです』 と。
正直 『自分達ばかり会長に遊んで頂いてゴメンナサイ』  と思うこともありますが、 町田道場生は本当に会長直々に遊んでいただくことが多いです。 会長が道場内にいらっしゃる時には 何気ない会話一つ一つで笑いが止まらなくなることがいくらでもあります。 そんな楽しい時間があるからこそ、10年以上通っているんだと思います。
それに、シャボ相談役も書かれていましたが、 自分より遠いところから通っている人もいくらでもいますし、 自分が特別大変だと思ったりはしていないです。
そもそも、一目会長に会うためだけに 沖縄や北海道からはるばるやって来る人もいくらでもいます。 そういった話を聞くたびに 『こんな簡単に会長に毎日のように遊んで頂いていいのかな?』 と思ってしまいます。
そうです。自分は全然大変なことはしていないです。 むしろ楽しています!?楽して楽しい時間を得ちゃっています!! 東京に住んでいるという理由だけで、こんな良い時間を頂いている・・・ 20代〜30代という時を会長の間近である東京で過ごせたことは 本当に自分にとっての幸運だったなぁと最近思っています。



それでは、次は、一時間くらいの通道場時間などなんのその!! 試合や月例会のたびに○時間かけて 名古屋から通ってきてくださった Jr選手の竹田さんお願いいたします。

■2008年3月1日(土) Vol.712

早矢香、立役者だったな。 来んなと言ったのに 俺んところにアポ無しで飛び込んで来た早矢香が、 日本では勝てるんだが海外では何故か勝てませんと言ってた割には 今回の中国での世界卓球で9連勝して銅メダルだった。
逢った別れ際
「メダルは獲らしてやる」
と言っちゃった手前、 メダルを逃したら俺かっこつかなかった(笑)
テレビを見ていたら早矢香のところで
「伝説の勝負師、雀士・桜井章一さん、うんぬん」
とか実況放送で流れていた。 テロップでも
「卓球の鬼となる」
なんて出ていたしな。
とにかく卓球の虫。
「卓球が強くなるならどんな食べ物でも食べちゃう」
と記されていたが、これは当たってるな。 卓球一途の女の子が麻雀の鬼んところへ 一人で逢いに来ちゃうんだから俺も参りました。
俺なんか食ったら腹でも壊さねぇか心配していたんだが、 世界の舞台でも立派に戦って それ以上の力を出していたんだからお見事です。
でもな苦言を言っちゃと、 9戦全勝の後戦った選手には中心に立たれて 横揺れに強い早矢香も揺らされて負けちゃったな。
もう一つ、相手の選手の方が 柔らかさの中からすーと押し出す動きで それが思ったより重い玉になって受けづらかったと思うよ。
9試合は完勝だったと思うが、あの一試合は完敗。 これから早矢香が越えなきゃいけない壁が見つかって良かったじゃん。
勝負にゃ守りなし。 攻撃と攻撃するがためのしっかりとした
「受け」 が必要。
これからも何かにつけ
「済まして」 「間に合わせる」
根性と行動を突っ走って また強い平野早矢香を見せて下さいね。

             雀鬼



 

■2008年2月28日(木) Vol.711

家に居たんでなんとなくチャンネルを動かすと、 早矢香が食いつくような顔が写る。
オッ、卓に乗ってんじゃん。 と、初めて卓球の試合をテレビで見る。
よくわからなかったんだが、一試合目で愛ちゃんが敗けて、 二試合目には早矢香が勝ったらしいが、 三試合目で又日本勢が敗けて、 早矢香の試合は崖っぷちだったらしい。
が、早矢香のかもし出す動きから、勝利は確実だった。 三勝早取りゲームの中で、早矢香が二勝したらしい。 この後愛ちゃんの試合を見たが、動きにバラつきが見え、 縦揺れが気になったが、早矢香の動きは 横にスムーズに流れ、するどい打球を打ち返していた。
今の早矢香なら実力は日本人では 抜きん出ているんだろうけんど、 もう一丁抜けて、最強の国の壁にぶつかって欲しいもんだ。 団体戦だが、自分がしっかりやりとげた上で、 他の選手を引き上げる力を見せて欲しいよな。
ここんところ数本のテレビ出演の交渉があったが、 全て断り、世界卓球のテレビコメントだけ一本受けた。 少しでも早矢香の力になればいいかな。
「やったれよ!!」

             雀鬼





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