Report

>次のレポート [Report Index]


■2008年2月27日(水) Vol.710

先日の日曜日は昼から、 我が家まで追っかけ取材があってカメラが回る。
電車の中でも取材とカメラが回る。 歩いていても同じこと、 道場に来て月例会が始まってもカメラに囲まれる。
「今日は何位にしますか、  優勝とか準優勝とかじゃつまりませんよね」
とビデオ撮りの中で催促を受ける。
そういう遊びって他人から求められてやるもんじゃない。 自分の遊び心がさせるものという気持ちがあったが
「6位でいいかな」
と答えておく。
一回戦は今年始めての少々のマイナス点となる。 二回戦でトップを取って、目標の6位に近づく。 三回戦も6位に留まる。 最終四回戦が始まる前に「6位」もういいかい、 と取材陣に訊ねるとOKですと答えが返ってくる。
ここで新たにカメラマンの北村さんから 眼鏡をとって打って下さいと申し込まれる。
三回戦までは何となく辺りに目を配って 「6位」を狙っていたが、 眼鏡を外されるとその分卓上に感覚が入っちまう。 必要以上に他の道場生の点棒が俺の箱の中に。
32名参加の月例会だったが前もって指名された、 「6位」には確実に入れた。 が眼鏡をとった分だけ3つ上に行っちゃった(笑)
その後もビデオカメラが深夜12時まで回っていた。 凄え楽しい時間を作れていたが、 身体も神経も自然体から無理に切り離したんで 凄え疲れちゃったです(笑)

             雀鬼




■2008年2月25日(月) Vol.709

-----------
【選手紹介:その19】
【Jr.:川原信郎】
-----------
とにかく壊れている 壊れちゃっている 。 周りまで壊しにいっている。
そんな壊れた壊し屋が、 上の方々のご指導と道場生同士の関わりのお陰で ここまで来られたことに、まず感謝致します。
思えば、丸さん.マネージャーの最強戦連覇以後、 近代麻雀ゴールドの販売日を最大の楽しみに、 真っ先に開いていたのは「超絶」のページでした。
牌の音のイメージは「強い」「怖い」でしたから、 ごくまれに来させて頂くだけでした。
あの人この人と見て喜んでいたのですから、 ファンといえばいえそうです。
そんな自分が足しげく通うようになったきっかけは、 「また明日!」という小島サブマネの声でした。 これを待っていたんだと思います。 そして翌日来ると、再び「また明日!」...ぁ、 来てもいいんだと嬉しかったものです。
今はサブマネも「また明日!」と言ってくれませんし、 言われても平気で休みそうな自分もいるのが残念です。
そして通い始め、 半端じゃないスピードと強さにしびれました。
雀鬼会=厳しい集団への憧れは強く、 何とか入れないかと思っていました。
ある日フリー卓で会長が 「お前、ちょっと頑張って予選受けろ」と 声をかけて下さったのです。 感激しました。 ついに道が開けたと思いました。
そして予選にエントリー... こんなに厳しいのか、 なんで自分はできないんだと歯を食いしばって 泣きながら勉強会で打ってました。 その甲斐あってか予選に合格。 「思ったよりいい麻雀打っていた」と 言って頂き、有頂天でした。
「雀鬼会」というブランドに憧れていた 部分が大きく不純だったかもしれませんが、 時代も今とは違いました。
とにかくこの一期は何かとトラブルを 起こし続け、千upはしたものの、 同時にちょっと好きなコのいる 他店にも通い(当然脈無しで終了)、 Jr.ではポイントを叩き.... 負のパワーって恐ろしいものです。
会長から「お前はトッポいからなぁ」と 言われて、ひょっとして褒められているのかも と勘違いしたり、当時既に三十路のわりには、 若気の至り過ぎた感があります。
ところがとにかく現場に存在できることを 評価されたのか(面子要員ともいいます)、 穴を埋める形でイキナリ選抜に上がらせて頂きました。
ここで村瀬サブマネ(当時)が町田から異動、 下北の上の方々と「スピード」の一期の幕を開けるのでした。
平日の4時頃から、とにかく「長」とか 「天王」の付く方々が、何が楽しいのか、 目の回るようなスピードの卓を立てていて、 そこで実際に目を回していたのが自分でした。
「無理だ、もうツモった牌も見れない...  誰かやめるって言わないかな...  間違ってもここでラス半とか言えないよな...  言っちゃおうかな...  いやどう考えても言えないな(×10)...(カランカラン)  あ、誰か来た!対面の村瀬さんの所にご案内だっ。  頼むフリー面子であってくれっ!  オレのためにペースを落してくれっ!来いっ!」
と振り向いたら多田さんで、 すごくガッカリしたりしていました。
その頃現スタッフの矢部は、 失恋のショックで、「ちっと男をみがかなきゃ」と 逃亡から復帰したばかりでしたが、 うっかり「長」卓に入ってしまい、 延々手順ミスとペナを繰り返し、 「あ!」と言い続けて、再び消えました。
自分は「そうだろう、そうだろう...」と、 矢部の背後で深くうなずいていたものです。 癒されましたね、助かりましたね、あの夜は。
この期は7kgやせました。選抜を3期の後、 Jr.10期、番外2期です。 その間に17kg太りました。 「ナメてんのか」というご指摘には、 謹んで「失礼しました、合わせ技です」とお詫びしたいです。
大体イッパイイッパイでやってましたが、 Jr.選手をつぶしにきてるんじゃないかという アノJr.打数対決とか、もう笑っちゃうか 逃げちゃうしかないって時のことが 一番楽しい思い出にもなってるんですよね。
「もしここに来ていなかったら」とは 本当に怖くて考えられません。 今いられることがありがたいと思います。
他には色々な意味で、 ヤル気ある若手の最初の壁として、 夜な夜なつるんだりやってきましたが、 シャボ、パセ... みんな壁の向こう側にいってしまいました。 それでいいんだと思います。
最近では 「志村さんのムチャ振りはもうヤなんですよ」 という金と入れ替わりで、 町田に行くことがありました。
理絵チャンが眠くなったら本当にお開きになったり、 HP通りなのがカルチャーショックでしたが、 楽しくやらせて頂き、ありがとうございました。
一緒の帰りの電車で、 下北で席から立って挨拶してくれたクッツー! 実は相当嬉しかったよ!下北の若手はキツくてさ... ではJr.チャンプの紳也さん、お願い致します。



■2008年2月23日(土) Vol.708

昨日はやることがダブっていたんだが、 後楽園まで松井大二郎の試合を見に行く。
お伴は元内弟子で俺の愛読書である 「紙プロ」の編集長の齊藤慎一。
久し振りの師と弟子の二人連れ、 慎一は総合格闘技専門の雑誌を作っているが、 10年余り前に彼等の影響があって 彼等が読み合う雑誌に目を通したのが、 俺と格闘技、 俺とヒクソングレイシーとの縁を生み出してくれた。
6時半に会場に着くが大二郎の試合は、 ずーと後ということで慎一と二人して会場を出て、 軽く食事をとりながら、雑多な話しが進む。 2時間程時間を持て余して、 やっとこミドル級のトーナメントが始まる。
後楽園会場は狭い分リングの試合は見やすい。 3試合目に松井が赤コーナーから登場。
試合が始まったが、大二郎の蹴りもパンチも、 腰が引けてる分甘くてぬるい。 そのうちに大きめな試合相手に劣勢を取られていき、 何時ものように出血。
「それがチャンスだった」
大二郎には何も分かっちゃいなかっただろうが、 俺の座る目の前のリング上でドクターチェックを受ける。
「大二郎、中途半端な試合やってんじゃねえ」
の俺の一声が劣勢の大二郎に届き、 目を開いて俺の姿を確認、大二郎しかとうなずく。
試合再開と同時に大二郎のパンチが、 見事に当たり相手選手ダウン。
そこから優勢に回って、 なんとか判定勝利を得た大二郎を、 応援に駆けつけていた女性から、 冷たいお茶の差し入れがあって
「間近に神の一声を聞かせて頂き、ありがとう」
と礼を言われる、が
「俺は神じゃない鬼だ」
と答えておく。

             雀鬼




■2008年2月20日(水) Vol.707

甲野先生曰く
「これほどまでも気持ちを入れて  熱心な日々を本作りのために貴重な時間を費やしたのに  中身がパッケージに伝わってない」
ということで、泣くに泣けないショックを、 出来上がった自らの本を悲しみ耐え忍んでいた様相。
それに比べりゃノー天気な俺なんか
「また新しい本が一冊加わったなー」
って感じ(笑) 「俺以外の皆様、お疲れ様」ぐらいしか反応がないにぶさ(笑)
甲野先生のお気持ちも察して、 引きずり出しちゃって 「ごめんなさい、すいませんでしたねぇ」 と謝るしかなかった。
先日下北道場に行った折、駅前の本屋さんに立ち寄り 瞬間で二冊の本を買い、レジの前に行くと 今回の対談本 「賢い身体 バカな身体」 が平積みで積み重ねられていた。 レジのスタッフさんに
「平積みありがとうございます」
の一声に、若いスタッフから
「うちの店にもファンがおりますので」
と返って来る。 俺以外の皆さんの労力やお気持ちがあって 一冊の本が誰かさん達の手に届く。
「どうなんだろうなー」
と思っていたら今日
「出足の売り上げが何倍か早いです」
と一報が入る。少しほっとする(笑) 少しほっとしたところで甲野先生に電話を入れる。 何時ものことだがその「分析」の中に 俺は素直でいるつもりなのに(笑) 甲野先生ときたら・・・・・
「やっぱ甲野先生はうそつきですよ」
と落ちが入る。
ところで俺って今まで何冊の本を出したんだろう。 昨日もまた懲りずに新しい本作りが始まった。 以前8冊同時進行なんて馬鹿な頃もあったんだよな。 それなのに、あぁそれなのに俺ってさぁ 「賢い身体 バカな身体」の自作の本をですよぉ、 出版されて一週間が経ったのに前書きと後書きを読んだだけ。 話にならないどころか笑っちゃいますよね、まったく!!

             雀鬼




■2008年2月18日(月)その2 Vol.706

ちったぁ昔の頃なら俺が顔を出せば、
「会長は絶対です」
なんていうセリフがあっちこっちから飛んできたもんだ。
その頃の俺等は体力も気力もやんちゃ盛り、 俺等が白ったら、黒いもんでも白だった。
それがねぇ、
「よござんすか」
俺等も廃っちゃってか、 私がねぇ、白だって突っ張っても黒だよとか、 はて又、相手にもされやしねぇ。
「よござんすか」
時代遅れかも知れねぇが、 ちったぁ昔にゃ、師匠が押してくる理不尽に 耐え忍ぶことを修行ってあったよなてか…。

             雀鬼




会長に触られるだけで喜ぶスタッフのノック(笑)

■2008年2月18日(月) Vol.705

-----------
【選手紹介:その18】
【選抜:パセ】
-----------
道場歴4年 番外1期、Jr1期、JrU1期、選抜4期
ギター侍こと高渕貴基殿からご指名を受けました 正真正銘の小僧、パセです。
通い始めた当初、
「何でもかんでもカタカナのあだ名をつけるんじゃねぇ!  誰だかわからん。」
と言われたパセという名も今では、
「道場ではパセが正式名称です。」
と会長に言って頂くにまで成長し、 そして今回は選手紹介までさせて頂けるとのこと、 これ幸いなり(高渕風)。 有り難く、これまでの歩みを振り返らせて頂きたいと思います。
僕が道場に通い始めたのは、ちょうど4年前の今ごろ。 当時会長や雀鬼会のことをほとんど知らなかった自分は、 近くの雀荘にふらっと寄ってみるかと、 今考えると恐ろしいほど軽い動機で通い始めました。
道場の存在が大きく変わったのは、 1年後にJr予選を受け、選手になってからでした。
中でも、1年に1度(頭は年中)輝く男、 高橋康夫氏の存在が大きかったです。 お互いをライバルとして日々競い合い、 夜な夜なフリーを打っては 淋しい懐に一時の安らぎを、 また班長選挙では前座として僕の班長就任へ 一役買っていただくなど、正に至れり尽くせり。
康夫さんの体を張った犠打無しには今の自分は存在しません。 康夫さん、本当にごちそう…いや、ありがとうございました(笑)。
こうして康夫さんを踏み台にした僕は、飛ぶ鳥を落とす勢いで 駆け上がっ…ていく予定でしたが、次の一期はあっさりと Jr予選落ち、再び振り出しへと戻されました。
雀鬼会が面白いのは、こういう所にあります。その時その時に、 不思議と各選手に違った壁、テーマが現れてくるのです。
道場では立場や年数に関係なく、選手全員が壁と向き合い、 いつまで経っても安住の地は無いのです。 更に厄介なことに、 道場では要領よく立ち回ろうとしても、 いとも簡単にメッキを剥がされ、 すぐに丸裸にされてしまいます。本当に困った人達です。 パンツをはくことすら許してくれません。
こうした中で僕が最も学んだことは、 目の前にあるやるべきことを 当たり前にやることの重要性だと思います。
雀鬼流と言うのは、色々とイメージがあるかもしれませんが、 僕の中では非常にシンプルで、
要は当たり前のことを当たり前にやる、 とにかくやる、 気が狂うまでやる、 気が狂ってもやる、 気が狂って死ぬまでやる、 気が狂って死んでもやる、 気が狂って死んで生まれ変わってもやる、 気が狂って…
ということになります(笑)
ただ、その当たり前と言うレベルは、 上の人になればなるほど高くなっていき、 普通のレベルの当たり前ではないですね。
そういう意味では、雀鬼流は普通じゃないです。 よい子のみんなは絶対に真似しないでください。 選手でも雀鬼流を続けるのが辛くなっちゃう時もあります。 しかも、割と頻繁に(笑)でも、 周りに一緒に頑張っている仲間がいるから、 踏ん張って続けていられるんだと思います。
さて話がそれましたが、そんなこんなで、 予選に落ちた僕はその後Jr2を優勝し、 そのまま選抜へと勝ち上がりました(通称パセルート)。
その後も、3度の最下位を喰らいながらも 入れ替え戦だけは勝ち続け、現在まで4期選抜にしがみついております。
こうして冷静に考えると、僕が選抜にいるのは奇跡的ですね。 (チビだけど)O型でおおざっぱな僕には、雀鬼流は非常に難しく感じますが、 会長に直接ご指導して頂けることの有り難み、幸せを感じながら、 同時に感謝の気持ちを忘れずにこれからもやっていきたいと思います。



次の選手紹介は、出番を今か今かと待っているであろう、町田の重鎮、、、、







川原副会長にお願いしたいと思います。

■2008年2月16日(土) Vol.704

昨日は俺にとっては最も大切な御方に逢いに行った。 来る三月に迎える20周年パーティーへのご案内と 別件の私用までおまけにつけて 図々しくも女房同伴でご挨拶に伺う。
俺なんかでも、外部の方で世間ではそれなりの方やその道のトップや 達人と思われる方々とのお付き合いがあるもんだが、 全てを含めて 「人物」 であられる方はたった一人。 鍵山秀三郎相談役、その御仁である。
その方を思う気持ちは「尊敬」でも安っぽい。 何が何だか俺の度量じゃ計りきれない何かを感じてしまう。 知行合わせて凄さや素晴らしさを感じてしまう。 お逢いする度に魅力が増してしまうのも何でだかわからない。
私よりも年令も10才ほど高齢。 社会的立場もずーと上部に築かれていなさる。 日本人の心や行動を少しでも良くしようと 日々現場に立って忙しくされている。
それほどの方なのに 見ず知らずの犯罪を犯した若者を励まし、 更生への道に力を注ぐ。 その青年が出所した折りには仕事先まで決めておられる。 親に捨てられたようなグレるしかなかった子等にも 何が必要かその子の大切な心の中に何かを届けなさってもいる。
慈善とかボランティアとか篤志家が行うこととも異なる。 相談役が気付いたり、小さい縁の糸の結びつきから 放っておけない性質なのだろうか。
御傍に控えられる阿部さんや新上さんも 「凄い方ですよ」と何気なくおっしゃる相談役は、 ブラジルの掃除に行かれる機内も長時間エコノミー。 日々動かれる新幹線も グリーン車には決して乗って下さらないという。
我々が汚す便所も素手でムンズとつかんできれいになさる方は グリーン車にふんぞり返って乗る人種がお嫌いらしい。 俺なんかも正直言ってとうにこっちのクラス(笑) 飾ったり、気取ったり、えばったりを捨てて生きてなさる。 それは充分承知の上。
「相談役、これからは御身体のことを気遣って  御身体をもう少し楽な方へ乗せて下さい」
と申し述べる。
この方は何ていう御方なんでしょう。 この日も私共が到着する時間に 玄関の前の道路まで出て新上さんが迎えて下さる。 早くお目にかかっても、遅れてもいけないという私の一存で 新上さんに案内されて、喫煙所で一服。 相談役が嫌われることを俺はやっちゃっている。 お逢いする以上、俺なんかかっこうつけたって通るわけもない。 何時もの通り素のまんまのスッピン。
相談役に出迎えられて、阿部さん新上さんという 何時もの楽しいメンツで応接間でお茶を頂く。 私の好きそうなお話やためになるお話を ユーモアいっぱいでお話して下さる。 話がはずむ。
「灰皿をお持ちしなさい」
ありえない!!
二度目の催促で新ちゃんもその場の空気を読んで 本当に灰皿を用意して下さる。 俺、その灰皿を食ってしまおうと思ったがやめといた。 なんてこの方々は凄いことやるんだろうと 一本取られるばかりで、タバコ一本吸えるわけはなかった(笑)
帰りには相談役自ら下の駐車場まで来て送って下さる。 同行している新ちゃんに
「相談役にとっちゃ俺なんか道を誤った若者達と同じなんだよね」
「いや、私もビックリしました、灰皿・・・・・」
今のところは相談役に可愛がって頂いているのは確かなようです。

             雀鬼




■2008年2月13日(水)その2 Vol.703

今期、仕事が忙しいと言っちゃ、 先頭切って決めちゃドタキャンを連続する 古参の志村もいれば、その存在と実力から 新人グループから頭3つぐらい抜け出した 金君から、師匠の小鉄に熱いメールが届いたという。
志村と小鉄が顔を揃えちゃ金君に、 損だ得だぁーと言っちゃ罠をかけるが、 金君は元々頑張りやの根性者。 その罠をくぐって、強く、正しく、しっかりとした姿を 道場生等に見せてくれ、手本・見本と言っても的は外れまい。 彼は道場で一打数を打ってくれる為に、 日々100円、200円の金を死闘し、 やりくりをしてくれているそうだ。
小鉄に入ったメールには
「今や一円もありません」
と、「金」君から「金」に関する 壮絶なメールが届いたらしい。

             雀鬼




■2008年2月13日(水) Vol.702

「雪が降る。貴女は来ない」
今年は都内も何度か雪が降った。 この休日を利用して、宮城県の 山奥の温泉に連れてってもらう。
夏には海、冬には山奥の雪が似合う。 毎年恒例なんだが、今年は20数年の腐れ縁の 竹書房の宇佐美殿との二人旅になっていた。
本格的な爺さんと爺さんに、 足を一歩踏み入れた二人旅。 山奥の温泉場は客室は少ないが、 その数の半分ぐらいの数の露天風呂があり、貸切で入れる。
「雪と露天風呂とのんびりがあれば良いよと願っていた。」
雪は思ったより少なかったが、 夜半になるとお望みの雪が降り始めた。 粉雪が窓辺の木立の中をそろそろと縦に降っている。 昼間に見かけたヤマガラやシジュウガラの小鳥達の姿も消える。
そば等で酒好きの宇佐美は地酒を楽しんでいる。 下戸の俺は窓辺かベランダに立って じっと降り注ぐ雪を眺めているだけ。
「雪ゆき、降れ降れ、もっと降れ」
窓辺の外の薄暗いランプに照らされた雪が横に流れ行く。 山と木々と風と雪が作る絵図が、 厳しくも美しい、横に凄まじい早さで流れる雪が、 時折り宙を舞う「龍の舞」を見せてくれる。
宇佐美は酒に酔い、俺は自然が作る美に酔う。 朝風呂につかって玄関の軒先の下を見ると、 雪に混じった白い固まりを手に取る。
物知り博士の宇佐美が、
「みぞれですかねぇ」
と答えてくれる。
白い固まりは、手のひらの上でも溶けることは無い。 みぞれねぇと口の中に入れてみる。 しょっぱさの他に何か異様な味がして、 二人してすぐに吐き出す。 何気なく後で宿の方に訪ねたら、 宇佐美博士がおっしゃるみぞれとやらは、 なにやら雪解けの薬品だった。
みぞれはなんだが、たった二日間、12時前に寝て、 朝起きるという生活が出来ただけでも御の字でした。

             雀鬼



 

■2008年2月12日(火) Vol.701

-----------
【選手紹介:その17】
【選抜:高田貴基】
-----------
若くして尊敬に値する清川殿よりご指名頂き、 この高田、恐悦至極に存じ上げます。有難きバトン、 謹んでお受け致す所存にて…
何故かお侍さん的なイメージをもたれることが 少なくないようで大変有難いのですが、 「相談役」シャボさんの自己紹介の時と同様、 カミングアウトから始めたく。
真の侍であれば、昨春の「AERA」に掲載された あの写真(会長に焦点をあてたショットにもかかわらず、 面積では負けじと、会長の横で私的にナガブチ化してる 自分)はありえません。
あんな出しゃばり侍は昔ならとっくに斬り捨てられてます。 町田の御大将・志村さんからは「シャイな目立ちたがり屋」と 評されましたが、返す言葉なし。
また、真の侍であれば、いかに就職難だったとはいえ、 世間様のお財布のひもを巧みに操る銀○などを職に選びましょうや。
今もなお平日の殆どをクサれ銀○の ビル内にて机に向かう、36歳独身です。
では、そんなエセ侍が何故「牌の音」に巡り合えたのか。 そもそも麻雀牌に触れたのは、20歳の頃…学生仲間に教えられて ハマるも、瞬く間に連敗街道。とにかく負けっぷりがよく… (「今もだろっ」て下北選抜勢のツッコミがきこえてきそうです)。
そこで仲間の持っていた「近代麻雀ゴールド」を読ませてもらうと、 ちょうど佐々木丸さんが最強戦で勝たれた頃で、 雀鬼会関連記事がぎっしり。 仲間は「桜井んとこはマジで厳しいらしいぜ」 「高田なんか行ったらもう…」と盛んにあおるものの、 自分はなんだか惹かれたんですね。 ここで自分を診ていただこう、それでホントにダメと みなされたら潔く麻雀をやめよう… すがるような思いで門を叩いたのが15年前でした。
今と違って体験卓なき時代、いきなりのフリー卓にて 何もかもが無茶苦茶だった自分の筈ですが、 さりげなく強くて堂々とした方々の胸を借りてはじき返されて、 ほぼ初心者なりに何か心地よかったのです。
同じ負けるならここだと。自然と、学生仲間とは遠ざかり、 道場に通うペースがあがり、自分の麻雀引退も延びたわけで。 程なく会長にお目にかかれるわけですが、 その際の第一印象は山田繁さんも書いていたように 「ヤバい」…何か独り違う空間を、 時間を歩かれてるような感じと言えばいいのでしょうか。
会長と同卓させていただいたのも、 通うようになってから間もなく…今でもよく憶えていますが、 自分のいた卓で一人欠けるや、会長のお声。
「それじゃあ…ちょっと、やってあげよう」
なんと、空いた対面に会長がドカッと座られるではありませんか。 予想だにせぬ展開にアワアワする自は、たしか東二局、 二順目あたりで赤5切りっ。すると、その赤5にスッと伸びたる、 しなやかなひとさし指。 ハッと顔を上げると、マジマジっと自分をご覧になる会長。
「ずいぶん早いね〜 どうしてっ?」
との問い。黙ってりゃいいのに「そ…それは…テンパイが近いから ではないでしょうか…」と力なく答える自分。
今の時代であれば、金村総括部長に道場裏へ呼び出されたかも。 しかし、冷静に振り返れば、 名も知らぬ愛想なしのワケわからんガキ相手にでも、 会長は当時から舞い降りられていたんですよね。
今更ながらどえらいことなんだと。自分は発声以外ろくに口もきかない、 笑わん殿下でしたから(「今もだろっ」てツッコミがきこえてきそうです)。 ましてや当時のスタッフの方々には相当扱いづらかったことでしょう。 心開いて初めてレポートを書くまでに1年、
初めてJr予選を受ける気になるまで1年半を要したものです。 以後の選手歴はざっと次のとおり…先述のとおり、 行ったり来たりの銀○員ゆえか、慌しく。
平成7年〜 9年 在東京 本部Jr5期 9年〜12年 在大阪 高槻Jr1期 12年〜13年 在東京 本部Jr1期 13年〜18年 在大阪 高槻番外1期、Jr3期  18年〜   在東京 本部Jr2期、選抜1期
この間、節々で折れそうになった自分を原点に戻していただいたのは、 会長の御言葉であったり、先述のAERAの写真であったように思います。
初めて大阪へ転勤となった20代中盤頃、 「おまえみたいのは雀鬼流というロープにつかまって人間やってられる身。 手離したら真っ逆さまだよ。いいか、魂売るなよ。見ててやるから。」
それでも、30歳を過ぎて二回目の在大阪の頃、私的な部分で諸々が重なり、 完全に引きこもりかかった時期がありました。そんな自分を、 山田マネージャーには高槻塾5周年パーティーの席に わざわざ引っ張り出していただき、そして会長からは
「引っ込んでねえで、もう一度、イチからやり直せ」
ここから自分はまた道を歩ませていただきました。 スピードスターだの宇宙流(「超絶2」ご参照)だのと浮かれた自分も、 引っ込んじまった愚かな自分も、何もかんも砕いて再生するつもりで… そんなこんなで、背中押され、 尻叩かれながらのここ何年かは本当に早かったです。
今回の選抜一期も。その選抜の一席て、 入れ替え戦もないままに会長からいただいたもの。 「こりゃあ、新入りだからって、たやすくボロボロに なるわけにはいかねえな」って臨んだら、無我夢中、アッと言う間でした。
だから自分独りの力なんてのはたかが知れてるのでしょう。 これまでの節々での選択ミスを怨めしく思うこともあったけど、 それもこれもあったからこその出会いやつまずきがあり、 今こうしていられるのだなと。つくづく縁に恵まれ、 支えていただいていたのだなと。
ここに全てを語り尽くせませんが、やはり、感謝するのみであります。 いただいたら返すのも雀鬼流。道場内では、上についていくだけなら まだまだ楽な方なのです。今度は、自分がしていただいたように、 後進を導けたら…これがまた難しいんですが、たとえ雀鬼会が今期以降 どのような展開となるにせよ、公私にわたり逃れられないテーマかと。
そう思えて前を見ていられる限り、まだまだ若者を、 小僧を気取りたいと思える今!今であります。そして、 紆余曲折…人それぞれにあることでしょうが、 あきらめずにまたついてこれて、雀鬼流に出会えて、 ほんとうによかったと思える今なのであります。



次は、正真正銘の若者、小僧(失礼)にして選抜の先輩であり、 春には教壇に立つ、遥か長い道のりを歩き始めんとする パセ殿にバトンをお渡し致した く…!
-----------
さぁさぁまだお呼びがない選抜は誰だぁ?(花岡)


<前のレポート [Report Index]