■2008/12/22(月)
≪ Vol.969
キャスターです。
会長
忘年会から一夜明けた箱根は、雲の流れが印象的でした。
すっきりと晴れた冬の空の下、寒風にあおられた雲の群れは、びっくりするような速さで流れていました。「空を飛んでいる」と言った方がいいくらいのスピードでした。
皆でチェックアウトを済ませ、箱根の高台に立つ旅館の玄関口で会長の車をお見送りする時も、雲はうねうねと続く箱根の山々をなめるようにざあっ、ざああっと流れ、そのたびに遠くの山の木々や谷あいの建物が、一瞬雲の影に日差しを遮られたかと思うと、すぐにまたぱあっと光を浴びていきます。
会長を乗せた車が坂をするすると下って見えなくなった後も、しばらくぼうっと見とれてしまうほどの雲と山の光景でした。旅館の人たちに「ああ、きょうのお客様たちはあの雲のようにさわやかな人たちだったわね」などと思ってもらいたいな・・・なんてことはちょっとおこがましいかもしれませんが、私たちが、この雲のように「一陣の風に乗ってさあっと来てさあっと帰っていく」印象的な集団であったならいいな、と思いましたし、きっとそうだったと思います。
会長に連れてきていただいたおかげで、この雲も見ることができた、冬の箱根もいいなあ(今まで箱根はあじさい祭りとか紅葉とか、春夏秋のことばかり考えていました)、などと思いながら皆とともに帰路についたのでした。
初めて参加の忘年会、楽しさがあればあるほど、この時間、瞬間は貴重だ、という切なさもある忘年会でした。大広間での夜の宴会での会長のあいさつ、
「結婚した人もいる、今幸福でしょうが、人はその幸福をみなに分けようという気持ちがないと必ず不幸になります」
という言葉。
会に来たばかりの私ですが、会長からいつもシャワーのように幸せをもらっているのに、ではどうやってその幸せをお返しすればいいのか、どうやって他の人に分けたらいいのか、やっぱり何でも全力でやるしかないのか、ううむ幸せをもらうというのは実は大変なことなんだ、誰かがやってくれるだろうからいいだろうじゃあだめなんだ、などと心の中でうんうんうなっておりました。
最近の会長の言葉からは、「自分をオープンにする」ということだけでなく、「人として前面に立つ」ことの試練のようなものも感じるようになってきました。
宴は料理も大変おいしく(あわびが踊っちゃってるよー)、また楽しく(チャッペさんの○乱ぶりにみんな大爆笑)、旅館のお部屋は高級(部屋と言わず廊下と言わず全部たたみで足袋使用、清潔感満点!)、さわさわと竹林が取り囲む大小の露天風呂(冬の露天は寒いけどいい!夜もよし、朝もまたよし!)、
「この時期にこうしてみんなで集まってこんないい場所で楽しめる幸せを味わうように」
とおっしゃる会長の言葉、みんなが噛みしめていました。私が前日に道場帰りの下北沢の駅でついあわててホームへの階段を転げ落ち、くじいてしまった右足首も、花岡さんたちからもらった湿布薬や塗り薬、そして箱根の湯のおかげでかなりよくなりました。
その箱根の湯、旅館の大浴場でのひとこま。書いていいのかどうかわからないまま書いてしまいます。
宴会後のひとっ風呂、すっかり身体もあったまっていい気持ち、10人ほどの皆さんと脱衣所で浴衣に袖を通しながら、私は思わず正直なところをつぶやきました。
「雀鬼会は20年でしょう、そんなになってからやっと入った僕は、言ってみれば南場になってから卓に参加しているようなもんでしょう」、
だからいきなり「仕事」が必要、東場の様子もまだよくわからないのに「状況判断」から「点棒計算」から、「場を壊さない」動きからもう大変・・・
と言おうとしたら、即座に皆にさえぎられました。
「何言ってんすかキャスター、もう南3局っすよ」「いや違う、オーラスだって」「そうそう、オーラス」「しかも7本場」「会長が親で、続行している状態すよ。会長が続行してくれてるから、続いてるんすよ。もう次は八連荘すよ」
会長、私が「切なさ」なんて書くのが恥ずかしいくらい、他の皆はもっと切なさ、危機感、そして奇跡を感じながら、会長に感謝しています。
近代麻雀で書いた原稿のラストの言葉をもう一度書きます。会長、どうかいつまでもお元気でいてください。そして会長とみなさん、素晴らしい忘年会、どうもありがとうございました。
キャスター
[写真:969]
キャスターも数年前から道場に来たいと思っていてやっとほんの数ヶ月前にやってこれたと話してくれました。いろいろやりくりして、まさに間に合ったひとりでしょう。本当に、ここに来ればまだそれはあります。今ならまだ間に合うんですよ、みなさん!(花岡)
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