■2006/04/05(水)
≪ Vol.89
四月に入った。外はあいにくの冷雨。根性がたるんでるせいか、今年は時に寒さを感じる。今日は前々からのお約束で、鍵山秀三郎先生から昼の食事会の御招待。お誘いを受けた時から、
「俺なんかでいいのかなー、貴重な時間を頂だいして」
と思いつつ、心のどこかで
「叱られたい」
という気持ちがあった。
最寄りの駅前からその店まで桜の花道が続き、桜の花も冷雨に耐えながら沿道に花びらを散らしている。
どこかに、また鍵山先生と逢えるという嬉しさがあったのか、昨日は徹夜明けということで早目に休む。早いといっても寝たのが午前二時。一応念のため目覚ましを8時に合わせておくが、2時間後の四時には目が覚めてしまったので、準備は役立たず。全くここんところの自分を現している。間が悪い。俺は間に合っていないが、鍵山先生はまさに「心遣いの現役の達人」。ちょいと前に歯を痛めた、私を気遣って下さり、食事は柔らかい豆腐料理を選択して下さり、寄りぬかれた職人の技が作り出す豆腐懐石。大豆と水とにがりの調和の取れた味をうまいうまいと食する。個室の窓辺から見える日本庭園には、年期が入ったさるすべりの木等がいい味合いを増す。
味あいのある職人料理。味あいのある木々。味あいのあられる鍵山先生の三点セットで時はあっというまに過ぎて行く。確かに豆腐はうまかった。何を話しをしたかは定かではないが、伝統の職人技と味わいのある木々と何ゆえに鍵山先生はこれほどまでに調和し、一体感を感じるのだろうと考えていた。
「そういう大人になりたい」
がなれそうもない。何故って?それは生き様の真当さの違いだから俺達には一朝一夕で決してなれないからです。粋なはからいで、心もおなかも満腹なぜいたくの時を頂だいしました。先生のお顔も、豆腐に負けずに柔らかく、笑顔でジョークを飛ばされ、何時も先生の前だけは固さがとれない安田も負けずに笑いの場へ突っ込み、とてもありがたい食事会で御座いました。
外までお送りに出て下さった鍵山先生、新上さん、阿部さんに別れをつげた後、このまま帰るのももったいないと、安田と村瀬と伴に、駅前のコーヒーショップへ入る。座って間もなく、そばにいた女性が立ち上がって
「もしかしたら…」
「ハイそうですが」
その女性は手も体もぶるぶると冷雨以上にふるえている。その手を温かくつつみ込んであげる。目からあふれ出る涙が止まらないが体のふるえだけは止まった。
何かを活かしたわけでもないが、人それぞれつらいことや悲しいことがその涙と同じくらいあったんだろう。その女性にとっては、偶然の見知らぬ土地での出逢いであろうが、今別れたばかりの鍵山先生の導きの必然であることは俺には分かっていた。
雀鬼
[写真:089]
≪ [Home]