■2008/08/30(土)
≪ Vol.867
文武両道に、
俺の一万倍ぐらい探究心や博識がある甲野善紀先生には、逢ったり、電話で俺の知らぬ世界の存在を、教えて頂くことが多かった。
「ヘエ!!そんな凄いことが」
っていう話しが多いんだが、俺ん中では、大工道具の機能美を生涯追い求めた、千代鶴是秀の存在の在り方には、瞬間圧倒され心の根が一本釣りされた感覚があった。
俺の感情の動きを察してか、先生がすぐに一冊の千代鶴是秀の写真集を送って下さり、寸断の隙も迷いも入らぬ、先人の大工道具を一点見ただけで、さらに圧倒され、その見事さにページをめくる欲さえ失った。
何をも貫き通す、鋭い刃先を見せるがその工程に力みが見れず、柔らかい精神と肉体を持ってして、手間の礎が窺える。逢ってみたい、遠くからでも見てみたいと、滅多に起きぬ気持ちにさせられる、数少ない是秀の写真をそっと覗く。
明治、大正、昭和と「生」を貫いたその姿も、さらに俺を圧倒する。
日本人を代表する、男を代表する、かっこいい味がびしっと飛んでくる。芸術や美術でもそんな気持ちになったことはない。職人、大工道具を作り続けた一人の男の生き様に魅了される。生涯現役を貫いて昭和32年84才でその道を去ったという。作品よし、人物よし、まれに見る存在として俺ん中に残る。
「会長、興味がおありですね。もう一冊送りましょうか」「いや先生、ちらりと見さしてもらっただけで俺なんかじゃ先に進めません。」
と本心を伝える。ところが昨日、孫の誕生と重なって先生から千代鶴是秀の写真集が届く。
表紙を見て晩年の是秀の写真を見ただけで、俺にないもの、俺が失いつつあるもの、オリンピック以上に、日本を感じている自分がいる。
明治、大正の両親を持ち、昭和の時代を生かしてもらった俺が「今から」遠い昔に心を持ってかれてしまいました。
雀鬼
[写真:867]
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