■2006/03/29(水)
 Vol.84
俺まったく忘れていたんだけど三月二十八日は道場の誕生日だそうだ。
18年前の開店は20人ぐらいのスタッフと伴に始動したんだっけなー。あの頃は凄かったよ。道場開ひのお祝いのパーティやって二部に分けて、麻雀大会をやって盛り上がった。開店と同時に人がわんさかやって来てくれて、週末なんか満卓で待ち席にも人が溢れ、すぐ隣にあった雀荘に行って卓を借してもらったほどでした。
俺も一年中休みなしで下北と町田道場をかけもちして回った騒がしさだったが、若かったから、少しのつかれも感じなかったものだ。今思えばちょうど安田ぐらいの年だったものなー。
俺が雀荘をオープンするなら新宿が通り相場だったが、その頃の環境と人との縁があって、生れ育った下北と移り住んでいた町田でオープンすることになったんだ。
最初は普通の雀荘だったが少し麻雀を教えてやるかと思い、指導するうちにすぐに「雀鬼流」という道に入り込んでしまって、気づけばどんどんと一般の麻雀の指導や打ち筋から離れていってしまい、一つの独自の雀風が生まれてしまった。
それもこれも先に指導者や道があったわけではなく、俺と麻雀牌との「運命」と定めとしか言いあらわせない。皆さんからお祝いの声を掛けられるが、今の気持ちは嬉しいというより感傷的です。弱気ではないんですが、何かがけっぷちに立たされているようで、後がないような気持ちが、そうさせているのかも知れません。
俺の麻雀人生は前半が新宿時代、後半が雀鬼流。裏表のように大きく変化を見せたものです。
新宿時代は若くて強くって恐いもの知らず、痛み知らずの日々で、それはそれで体験出来ない事を沢山やれて毎日がけっこう楽しかったものですが、それ以上のものは生まれて来なかったが、雀鬼流を皆さん達と伴に歩み出してからは思考の中に色々な事を気づかしていただき、麻雀を通して色々な事を学ばして頂けた事は事実です。
雀鬼があってこそ「牌の音」が生まれ「雀鬼流」が生まれたのでは決してなく、道場生があって、雀鬼流があって、俺が歩めて来れたのです。
18年も経つと今や麻雀を打つことより、そばにいてくださった道場生のほうが確実に好きであるし、大切になってしまっています。
あまり長く書くと安田の奥様の里美さんから
「長いと読むのめんどくさいし、くたびれるのよねぇ」
と又、注告を受けますから(笑)今日んところはこのへんで終了としておきます。
「牌の音」「雀鬼流」そして「道場生」の皆様方に深く感謝しております。
こんな俺ですがもう少しだけつき合ってやって下さいまし。
雀鬼

[写真:084]

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