■2008/04/13(日)
 Vol.743
人類は農耕文化が発達したことで、一体感とともに競争意識が増大した。その遺伝子は抜いても抜ききれないものとなって、我々の血の中に流れる。
夏には中国の北京でオリンピックが開催される。その開催国である中国共同体の中で、チベット領治区に対する問題が暴動化されている。
オリンピックとは元々、人類が競争戦争から逃れられないということで、その開期中だけでも戦争を止めて、敵も味方も分け隔てなく集まって、スポーツを通して競おうと平和を求める祭典であったはず。
まぁそれも競争好き、戦闘好きな人類を少しでも治めようという建前だったんだろう。争うことを止めて競えば良いと言ったって、そうたいして変わるもんじゃない。あっちこっちの国でも聖火リレーすら妨害を受けているという。
日本もそうだったが、東京オリンピックを境にして経済が高度化された今日びの社会、何かと経済効果が優先され、それが力となって現れる。
オリンピックにも多様な種目があるだけ、その裏に巨大化された業界が渦巻く。
先日、オリンピック柔道種目の選考試合があったが、女子の部では勝った者達が選ばれず、6人中5人が敗れた者の中から選出された。
そこに正義があるのか、不当な扱いがあるのかは定かではないが、業界内では納得済みでも、国民にはその正当化が伝わってこないことが、どうなのかと思ってしまう。
国には国策があり、国の利益を、正義より優先順位の上に置く。その繋がりで業界内にも持ち越されるのだろうが、まぁオリンピックという人類最大な競争の産物も、平和の祭典、などとやめて、経済政治が作り出す巨大競争社会の原理主義である、と正直に述べればいいのにね(笑)
雀鬼

[写真:743]
以前、山田マネージャから送られた龍のライターと。

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