■2024/3/9(土)
≪ Vol.7130
ここに居る者より、一般の方々から、
それぞれの想いのメールを頂き、
何だか、又、「内」が敗けちゃった、
今日この頃です。
ちょっとだけ、答えておきます。
俺の子供の頃って、
まだ敗戦の色が濃く残っていて、
明治維新以来、
一気に何んもなくなった日本を感じていました。
だからって、戦後のバブルのように、
何でも、いっぱいあった時代も
好きじゃありませんがね。
何んもなくったって、子供っていうのは、
そこらに残った物で、
日々、楽しみを作り出していました。
腹が減ることも知ったし、
食べ物にありつけた、ありがたさも知った。
今じゃ、腹も減らねえし、
食うのもなー。
俺、小学校時代の2、3年かな、
戦争から帰った行き場のない兵隊さんが、
校舎の一部を使っていた。
1週か、2週ごとに、
早番、昼から始まる遅番があって、
遊びっ子の俺は昼番を好んだ。
何か、倍遊べた気がした。
勉強、6年間やった思い出なし。
学校は遊び仲間がいる所だから、
勉強は毎度のビリッケツに位置したが、
そんなものは、どうでもよかった(笑)
その分、楽しみや、遊びは上位。
低学年の時、担任がまだ若い女の先生で、
俺なんて、とても手がつけられない。
最初、水のいっぱい入ったバケツを2つ持たされ、
教室の後ろに立たされたが、
次は、廊下に立ってなさい、と昇格した(笑)
最終的には、他の男性教師の部屋に移動、
その上、暇さえあれば、家庭訪問で、
母親に、しつけらしきものを申し込んでいた。
母は毎度、低頭に謝っていたが、
俺は何とも思わなかった(笑)
でも卒業式の、
仰げば尊しの唄の時は、涙が出ていた。
一つの自慢は、無遅刻無欠席で、
数人の中に居たっけ。
そりゃ、真面目ということじゃなくて、
ただ朝一番から、夕暮れまで遊びたかったから。
ただそれだけ(笑)
小学四年生の時に、
俺の小中高大の中で、
これぞ教師、と思われる方、
新井良一先生に出逢えた。
何が良くて、悪いのか、
真っ赤な顔で、ゲンコツを落とされたのは、
俺の貴重な体験でした。
・・・・・ここまで、又ね。
雀鬼
[写真:7130]
自分の父親は教職でしたが、
勉強を分かり易く教える事が大事としているようでした。
良い印象のある先生と言えば、
冗談で生徒を良く笑わせてくれる人ぐらい、
新井先生のような方、出会って見たかったです。
(恒)
一日中遊びの時間にならないのが現実ですが、
わずかばかりでも、
動けることを楽しみたいと思います。
昨日の遅番は、12人で楽しめましたね。
(BIG)
時代や環境そしてどんな先生や友達と出会い、
その触れ合いの中で、どのように感じるかで、
子供時代も大きく変わってくると思います。
今は人間味のある先生と言うのも中々いなさそうですし、
近所の公園や神社でも、
体を使って遊んでいる子供達を見かけなくなって来ました。
子供時代って大切な時期だとおもうのですが、
時代と共に変わっていってしまうのが、
残念な感じがします。
(シャボ)
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