■2008/02/12(火)
 Vol.701
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【選手紹介:その17】
【選抜:高田貴基】
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若くして尊敬に値する清川殿よりご指名頂き、この高田、恐悦至極に存じ上げます。有難きバトン、謹んでお受け致す所存にて…
何故かお侍さん的なイメージをもたれることが少なくないようで大変有難いのですが、「相談役」シャボさんの自己紹介の時と同様、カミングアウトから始めたく。
真の侍であれば、昨春の「AERA」に掲載されたあの写真(会長に焦点をあてたショットにもかかわらず、面積では負けじと、会長の横で私的にナガブチ化してる自分)はありえません。
あんな出しゃばり侍は昔ならとっくに斬り捨てられてます。町田の御大将・志村さんからは「シャイな目立ちたがり屋」と評されましたが、返す言葉なし。
また、真の侍であれば、いかに就職難だったとはいえ、世間様のお財布のひもを巧みに操る銀○などを職に選びましょうや。
今もなお平日の殆どをクサれ銀○のビル内にて机に向かう、36歳独身です。
では、そんなエセ侍が何故「牌の音」に巡り合えたのか。そもそも麻雀牌に触れたのは、20歳の頃…学生仲間に教えられてハマるも、瞬く間に連敗街道。とにかく負けっぷりがよく…(「今もだろっ」て下北選抜勢のツッコミがきこえてきそうです)。
そこで仲間の持っていた「近代麻雀ゴールド」を読ませてもらうと、ちょうど佐々木丸さんが最強戦で勝たれた頃で、雀鬼会関連記事がぎっしり。仲間は「桜井んとこはマジで厳しいらしいぜ」「高田なんか行ったらもう…」と盛んにあおるものの、自分はなんだか惹かれたんですね。ここで自分を診ていただこう、それでホントにダメとみなされたら潔く麻雀をやめよう…すがるような思いで門を叩いたのが15年前でした。
今と違って体験卓なき時代、いきなりのフリー卓にて何もかもが無茶苦茶だった自分の筈ですが、さりげなく強くて堂々とした方々の胸を借りてはじき返されて、ほぼ初心者なりに何か心地よかったのです。
同じ負けるならここだと。自然と、学生仲間とは遠ざかり、道場に通うペースがあがり、自分の麻雀引退も延びたわけで。程なく会長にお目にかかれるわけですが、その際の第一印象は山田繁さんも書いていたように「ヤバい」…何か独り違う空間を、時間を歩かれてるような感じと言えばいいのでしょうか。
会長と同卓させていただいたのも、通うようになってから間もなく…今でもよく憶えていますが、自分のいた卓で一人欠けるや、会長のお声。
「それじゃあ…ちょっと、やってあげよう」
なんと、空いた対面に会長がドカッと座られるではありませんか。予想だにせぬ展開にアワアワする自は、たしか東二局、二順目あたりで赤5切りっ。すると、その赤5にスッと伸びたる、しなやかなひとさし指。ハッと顔を上げると、マジマジっと自分をご覧になる会長。
「ずいぶん早いね〜 どうしてっ?」
との問い。黙ってりゃいいのに「そ…それは…テンパイが近いからではないでしょうか…」と力なく答える自分。
今の時代であれば、金村総括部長に道場裏へ呼び出されたかも。しかし、冷静に振り返れば、名も知らぬ愛想なしのワケわからんガキ相手にでも、会長は当時から舞い降りられていたんですよね。
今更ながらどえらいことなんだと。自分は発声以外ろくに口もきかない、笑わん殿下でしたから(「今もだろっ」てツッコミがきこえてきそうです)。ましてや当時のスタッフの方々には相当扱いづらかったことでしょう。心開いて初めてレポートを書くまでに1年、
初めてJr予選を受ける気になるまで1年半を要したものです。以後の選手歴はざっと次のとおり…先述のとおり、行ったり来たりの銀○員ゆえか、慌しく。
平成7年〜 9年 在東京 本部Jr5期9年〜12年 在大阪 高槻Jr1期12年〜13年 在東京 本部Jr1期13年〜18年 在大阪 高槻番外1期、Jr3期18年〜   在東京 本部Jr2期、選抜1期
この間、節々で折れそうになった自分を原点に戻していただいたのは、会長の御言葉であったり、先述のAERAの写真であったように思います。
初めて大阪へ転勤となった20代中盤頃、「おまえみたいのは雀鬼流というロープにつかまって人間やってられる身。手離したら真っ逆さまだよ。いいか、魂売るなよ。見ててやるから。」
それでも、30歳を過ぎて二回目の在大阪の頃、私的な部分で諸々が重なり、完全に引きこもりかかった時期がありました。そんな自分を、山田マネージャーには高槻塾5周年パーティーの席にわざわざ引っ張り出していただき、そして会長からは
「引っ込んでねえで、もう一度、イチからやり直せ」
ここから自分はまた道を歩ませていただきました。スピードスターだの宇宙流(「超絶2」ご参照)だのと浮かれた自分も、引っ込んじまった愚かな自分も、何もかんも砕いて再生するつもりで…そんなこんなで、背中押され、尻叩かれながらのここ何年かは本当に早かったです。
今回の選抜一期も。その選抜の一席て、入れ替え戦もないままに会長からいただいたもの。「こりゃあ、新入りだからって、たやすくボロボロになるわけにはいかねえな」って臨んだら、無我夢中、アッと言う間でした。
だから自分独りの力なんてのはたかが知れてるのでしょう。これまでの節々での選択ミスを怨めしく思うこともあったけど、それもこれもあったからこその出会いやつまずきがあり、今こうしていられるのだなと。つくづく縁に恵まれ、支えていただいていたのだなと。
ここに全てを語り尽くせませんが、やはり、感謝するのみであります。いただいたら返すのも雀鬼流。道場内では、上についていくだけならまだまだ楽な方なのです。今度は、自分がしていただいたように、後進を導けたら…これがまた難しいんですが、たとえ雀鬼会が今期以降どのような展開となるにせよ、公私にわたり逃れられないテーマかと。
そう思えて前を見ていられる限り、まだまだ若者を、小僧を気取りたいと思える今!今であります。そして、紆余曲折…人それぞれにあることでしょうが、あきらめずにまたついてこれて、雀鬼流に出会えて、ほんとうによかったと思える今なのであります。
[写真:701]
次は、正真正銘の若者、小僧(失礼)にして選抜の先輩であり、春には教壇に立つ、遥か長い道のりを歩き始めんとするパセ殿にバトンをお渡し致した く…!
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さぁさぁまだお呼びがない選抜は誰だぁ?(花岡)

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