■2008/01/17(木)
 Vol.679
高槻塾へ行けた。山田英樹のそばに行ってあげれた。それだけで、いいんだ。
思えば、新宿歌舞伎町時代が20年あってそこから離れたくなっていた頃に山田と出逢った。
新宿のネオンに染まっていた俺と、右も左も分からない田舎もんの坊やとの出逢い。
年令も生きた道も環境すら異なっていたのに、体と体の一部分が互いに気に入ったのか、10年余り坊やは何時も俺といっしょだった。
坊やにとって俺は青春時代の親父。10年至った頃、「坊や、本当の親御さんのところへ帰れ」と、がけから突き落とす。
坊やは谷底で2年くらい泣いていた。そんな坊やを振り向きもせず、俺は坊やに背中を見せていた。
全ての力を失ってしまった坊やがある日、遠くから俺を見ていた。気付いたが、声も掛けない。淋しそうに外に突っ立っていた坊やの姿が消える。
「いいんだ、それで。」
と思う他なかった。そんな坊やが高槻塾を開いて10年至った。出逢った頃よりさらなる絆が強まる。
数ではない、人数でもない。雀鬼流を始めて20年。たった一人でもいい、男と男の絆のラインが一本作れればそれでいい。
あの日、16期目の高槻塾Jr.の決勝があった。山田をしたう16名の選手の顔がある。
金村や多田達が少しでもいい試合を作らせてやろうと、必死だったが彼等の気持は、麻雀、卓、一打一打にのらない、入らない。全員打てませんで終わる。
あくる日、俺は麻雀を少しも打てなかった彼等と再び触れ合う。昨日の心と体がうそのように、彼等の体と心が動いている。
「ニヤリとした。」
彼等は麻雀の決勝よりも別の型で喜びを準備していた。本部から遠く離れた大阪の地に彼等が作る雀鬼流を見てとる。
「坊やよかったな。」
宮本、仁尾、奥井等、あんな可愛い奴等にしたわれる、坊やの嬉しさは俺も同様。
坊やいくつになった。俺が雀鬼会を始めた頃の歳になったのか。
雀鬼

[写真:679]

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