■2008/01/14(月)
 Vol.678
-----------
【選手紹介:その12】
【山田英樹:マネージャー】
-----------
牌の音歴、オープン4ヶ月前の準備期間より
金村総括部長よりご指名頂きました山田です。 大阪府高槻市で雀鬼流麻雀道場高槻塾を やらせて頂いております。
単身大阪にやってきて高槻塾を始めて、 先月12月で早10年となりました。 雀鬼流を通じてこちらでも 沢山の仲間達と触れあうことが出来ました。
会長と初めて出会ったのは23年前、 自分がまだ町田市にある大学に通っている頃でした。 ある時から、会長と食事を御一緒させて頂いたり、 運転手をさせて頂いたり、 将棋の御相手をさせて頂いたりと可愛がって頂きました。
今日に至るまでの23年間、とても書ききれぬ程、 色々な想いも出来事もありますが、 一言で言えば会長に惚れました。
オープン当時の牌の音は今と比べると様々な人種が入り乱れ、 老若男女、あちら方面の人からオカマから麻雀プロまで 何でもあり状態、最近になって道場に通い始めた人には 想像もつかないと思います。
道場であるという感覚を持った人間は少なかった様に思います。 それでも根っこの部分では今と変わらず雀鬼流ですから厳しさも、 楽しみも、喜こびも、感動も他所では決して 味わえぬ事が数え切れぬ程ありました。
30才を過ぎた頃、私は会長の元を離れ、 実家の九州へ帰る事となり、翌年、 大阪に事業の新規開拓で、丸1年以上麻雀牌を見る事も無く、 離れていた自分でしたが、ある日、ノーレート&0.5という 看板を見つけ、入ってみようという気持ちになりました。
中に入ると自分が思っていた通りの雰囲気で、 ギャンブルとしてでは無く、麻雀を楽しみたい、 強くなりたいという若い人達が集う雀荘でした。
店に入るや否や「山田さんですよね」と声をかけられ、 それから時折その店に行っては牌の音に居た頃の様に そこに居る皆なと触れあっていました。
一度は離れそうになったけれど、 やはり自分の道はこの道なんだと思い、 大阪で麻雀道場を始めようと決めました。
親不孝者の自分がせめてもの出来る事は、 会長から教えて頂いた事、会長の背中から学んだ事を 求めている人達に伝えていく事だと思い、 会長のお許しを頂く為に東京へ。
「麻雀道場高槻塾を始めたいと思っています」
と告げると
「それじゃ駄目だ。雀鬼流麻雀道場にしなさい」
と思いも寄らぬ有難い一言を頂き、そして今日に至る、です。
雀鬼流とは、自分にとって道であり、生き甲斐、 そして何より切っても切れぬもの、縁だと思っています。 親子の縁、夫婦の縁(最近はすぐに別れる人達が多いですけど)。
この20年間、長いようであっという間だったような気もします。 毎日やる事や楽しい事、楽しい仲間達に囲まれているからでしょうね。
最後に一言、雀鬼流は見るよりも、聞くよりも、 現場で共に行動してこそ、楽しいもんです。 いつもホームページを見てくれている人達、 道場へ足を運んでみて下さい。 温泉みたいな所ですから、温まりますよ。 では次は村瀬道場長、宜しく。
[写真:678]
恒例の昔の写真・・・左はオープン当時の牌の音内でのお写真です(^_^;)
という訳でただ今、高槻塾決勝戦&10周年記念パーティーから帰ってきました。予想以上に手作りの良いパーティーでした。みなさんお疲れ様でした(花岡)

 [Home]