■2007/01/24(水)
 Vol.396
今日、國方さんと電話で話をした。彼の受賞に対して中傷や批判もあるらしい。鍵山相談役はともかく、警察と麻雀が良い関係で結びついたのも許せない人もいることでしょう。それは決して批判ということではありません。私ですら長年麻雀に携わりながらも、今だにどこかで麻雀を否定しております。
麻雀の牌の一個一個には決して罪はないのですが、牌に人間が触れると嫌なものが乗り移る。打つ人間の思考が良くないことで麻雀も悪くなってしまう。
仕事とか教育とかはその看板や器の中で隠せても、麻雀だけは人の持つ悪さが浮き出てしまうものなのです。正直私ですら麻雀を打ったことで、墜落した人生を歩む人達や、その延長線で起きる事件が生まれることも十分承知しております。
一般の麻雀を裏で眺めたり、高名な学者やそれなりの人物が打つ麻雀を見ても、ヘドが出るほど気持が悪くなってしまうことばかりです。どう言い訳しても、麻雀とは打つ人間によって汚されてしまうものなのですから、麻雀を打たない、知らない方々から批判や否定をされても仕方がないことであると理解しております。
ですから、雀鬼流では損得で動いてしまう思考と行動という社会観念から離して牌を扱ったらどうだろうと、政治的感覚と経済的思考を極力削り取って作られたものですから、その分からしても社会の常識からかけ離れたところに存在しているのかも知れません。
國方さんにも申し上げたように、世間一般の麻雀は決して認められるようなものじゃありません。出来れば触れ合わない方が最善の策です(笑)
どこの世界でも言えることでしょうが、決して麻雀の牌が悪どいのでなく、麻雀を打つ人達の思考や価値観や方向が悪どいだけなのです。ならば麻雀を打たない人達が美しい心の持ち主とも言い切れません。その方々が打てばやはり同等の悪さが見えてしまうでしょう。
「國方様の論文を最優秀賞にするとは読売たるもの情けない」
と、どこかの大学の助教授だかコラムニストが申し述べたという。別に読売だろうが朝日だろうが私にとっちゃ関係ないこと。だいたいが、國方さんの文を読んで論文であると決めつけてしまう頭でっかちの輩を疑う。
私にしても、國方さんにしても、あの文章を決して論文という高貴な位置においてない。ありのままの言葉とありのままの行動をただ書いただけの「作文」と二人は思っています。
今まではあの懸賞論文も、高学歴やそれなりの知識豊かな方々が賞を取られたそうです。國方さんは自ら
「私は地方の三流高校出身です」
と、おっしゃっていた。私にとっちゃ高学歴が低学歴の方に負けたおもしろさを感じております(笑)
読売新聞は大衆のもとで成り立っている大衆紙であることを忘れちゃいけません。別に見識者や知識人や裕福な方々だけが読まれる新聞であると申すのなら、私も購読をすることをやめさせて頂きます。私なんぞの無能なものにはどこかの○○大教授のようにはいかず、論文と聞いただけで目を閉じてしまいます。(笑)
正直言ってどこの世界の論文にしても、読みたいと思う方のほうが少ないんじゃないでしょうか。そういう意味からしても、國方さんの作文を、いや論文を最優秀に取り上げた読売新聞も
センスあるじゃん(笑) 
と、思う次第です。
「教養の中に寂しさや悲しみがあるんですよね」
雀鬼

[写真:396]

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