■2006/11/15(水)
≪ Vol.311
中学生や校長が一週間に三人も自殺した。
世にいじめ問題があると社会的に騒がれている。人間は誰しも完璧には成れない。良い感情と悪い感情、誰しもが持って生きている。嘘をつかなかった事がないように、意地が悪い部分も何時でも持っている。
「人々は完全で有り得ない故に、完全の姿を装う神を造作した」
神ですら存在したのでなく、人間が作り上げた知恵であろう。
俺の場合、クラスとか小単位では、いじめられない立場を力で作っていたが、一歩子供ながらの遠出をすると、そこには自分より体が倍もでかい連中が現れて、プールに入れば数人に水の中に押しつけられたり、バットや棍棒で追い回された事もあった。
分野や立場によって、いじめたりいじめられたりが子供の頃には、その当時だって当たり前にあった。
俺が小学校の頃、俺達をいじめまくっていた連中に自分の背丈が追いついた頃、俺は俺達より馬鹿でかく、その上武器まで持っていた鬼のように映っていた連中を一人一人捕まえちゃ、こっちから決闘を申し込み全ての借りを返してやった(笑)。
そんな事があったぞ、という事すら学校の先生も親ですら知らない。
子供の世界の事は、俺の立場は己という子供自身で通り過ぎ、解決する以外、方法を知らなかった。大人になって面と向かっていじめられることは無くなったが、社会とはある一面、そこに棲む以上多かれ少なかれ、権力側からの嫌がらせやいじめを体制や構図の中で作り出されている。
それすら社会常識の絵に見え隠れする分野でもある。社会に生活する大人達ですら、いじめたり、いじめられたりの狭間の中で生きている。いじめという存在も水の如し、上から下へ流れ落ちる事が必然であろう。
その定理を知ってか知らずしてか人は、向上を求め上へ上へ登って行く。いじめを無くす事でなくいじめられない立場に向かうが、人の心の悪心が捨て切れないように、いじめは重なってついて来る。
家庭にだって教育の現場だって、社会という仕事場や社会全体を見たって人の心に悪心が消えぬ事が無いように、いじめという人間関係は存在する。それすら自覚出来ない無神経者も存在しようが、その姿は隠しようがない。
頑張る、耐える、愛情、人を思う行動の中にも悪心は隠れ棲んでいる。確実に存在するものが悪い型である以上、それに対処し闘い切らねばならない。そのためにも強い肉体と精神力が必要となる。
己自身にも好き嫌いがあるように、人にやられて良いと思える事も、嫌だと思う事もある。
食品一つ取っても何でも食べれる、それもあれも好きという人もいれば、偏食もいる。相手から出された言葉や行為も、食えるものも、食えないものもある。中には腐ったものや痛んだの、毒を盛ったものすら差し出して来る者もいる。
この社会の汚れや人の持つ心の悪が消えない以上、人間関係から生まれる悪に対して免疫力をつけてないと、小さな事も大きく感じたり、被害者意識から逃れられずに倒されてしまう。
人の持つ好き嫌いという選択や意地悪という感情の根源が消え去る事が無い以上、自他共にそれを認め、それを確認する事が必要でもあろう。
俺の心にも嘘が棲み、意地の悪さがあり、そしていじめも多種多様な型であった事は確実です。どこかの知識人等が集まって子供達や学校で起きているいじめ問題を問うているが、彼等こそ今、現在進行中の己が行っているいじめをしていた体験を話すべきだろう。
私達は立派でお利口さんですから、いじめられた事も、いじめた事もありません、なんて言う厚顔面の評論はもう結構ですからね。
「マネージャーや部下をいじめたすぐ後に、ここにやって来ています」
とか、俺ってどうして大人になっても回りの人をいじめてんですかねぇとかね。
雀鬼
[写真:311]志村の体を直す会長
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