■2006/11/02(水)
 Vol.296
雀鬼会の麻雀の試合をやっていると、今の自分の状態が良く分かります。自分では、そこそこだと思っているのに、自分のダメさ加減を痛感したり、間に合ってると思っていたら、まったく間に合っていなかったり、まあ、正直、「思っているより良い」っていう事はほとんど無く、大抵は自分の足りなさを知ることが多い。
そういう意味では、会長のそれとはレベルが違うけど、雀鬼会本戦はやっぱり僕等の鏡です。それは道場も同じで、基本的には自分の足りない部分を知り、みんなして修正をかけていく場所です。もちろん、ダメさを痛感してばかりいたら、とてもやっていられないのですが、それ以上の楽しみや喜びをいただいています。
正直であり続けること、素直である続けることは、ある意味、誤魔化しや逃げ場がないので、自分にとって言い訳が多いものほど辛く、壁に当たったり、被害者意識にも入りやすくなります。何かを会長や仲間に言われた時、どれだけ素直に行動に移せるかは、今の自分の状態を測る鏡でもあります。
人間というのは、自分の守ってきたものを根底からひっくり返すような事実に対峙したとき、瞬間的にそれを守ろうとする言い訳ができ、拒否反応が起こります。
「拒否反応と闘え」
と、会長はおっしゃってますが、この拒否反応は長い年月かけて自分が育ててきたもので、結構やっかいな存在。でも、その時言い訳せず、素直と勇気をもって行動に移せば、大きく変化することができたりします。実際、そうやって変化する若い人も沢山見てきましたし、そういう子を見ていることが、今の自分の一番の原動力かも知れません。
鉄棒にぶら下がってしっかり手を握って、
「この手だけは僕のライフライン。離したら自分が無くなってしまう」
と、頑張ってぶら下がってるより、手を離して落ちたと思ったら、両足でしっかり立てて、その方が楽だった、という事も結構ありえます。まあ、両足で立つことを知ってしまった者には、また、別の意味で言い訳ができない状態がやってくるものでしょうけど(笑)。
会長はいつの時でも「柔らかさ」を大切にし、「臨機応変・適材適所」を大切になさってます。雀鬼流にはマニュアルは無く、マニュアルを求めた瞬間、何かに「囚われている事」を意味します。
「雀鬼流にさえ、囚われちゃいけないんだ」
ということで、明後日の「全国大会」も形式上ルールはありますが、マニュアルはありません。すべての局面で臨機応変に、自分の力で対応する努力をしてみてください。間違っても、麻雀オタクな局面の解説を僕に求めたりしないようにお願いします(笑)。決して、めんどくさいから言ったり、拒否反応をおこしている訳ではないので誤解の無いように(笑)。
また、どうしてもそういう事を聞きたい方は、終わった後、審判部長の金村にマンツーマンで教わってください。身をもって教えてくれるはずです(笑)。
では、明後日に…v(^_^)v
安田潤司
[写真:296]

 [Home]