■2006/02/02(木)
 Vol.27
はじめまして。ホームページ開設おめでとうございます。僕は高校生の時に「雀鬼流」という本を読ませて頂いて以来、会長のファンになり色々な文章に触れさせていただいています。最近は「JANKI-RYU」を読んでいます。写真がめちゃくちゃ素敵だし、文章も読んでいると勇気をもらったような気持ちになります。全てを理解するのはまだまだ僕には難しいですが、会長自身が感じられてきたことをたくさん言葉にして下さっているという事に、本当に感謝します。僕は今大学四年生で今年大学院に進むことになっているのですが、今までの部活やバイトをしてきたりという中で自分なりに世の中の悪いところをたくさん感じて来ました。それと同時に自分の悪いところもたくさん。世の中にも、自分にもまだまだ負けてしまうことが多いけれど、社会に出たときにはそんな世間の悪い部分に負けずに、自分自身が本当に良いと思うことを自然にできる大人になりたいです。もっといえば僕は会長のような人になりたいです。僕の小学校の卒業式で、担任の先生に戴いた詩があります。この詩を読むと、会長が沖縄で見つけられたという詠み人知らずの詩を読んだ時の様な、澄んだ気持ちになります。
「小さい勇気をこそ……東井義雄
人生の大嵐がやって来たときへっちゃらで乗り越えられる大きな勇気もほしいには、ほしい。でも、もう、走れない、歩きたいそう誘いかける小悪魔をやっつけられるくらいの小さい勇気明日があるじゃないか明日やればいいじゃないかそうよびかける小悪魔をやっつけられるくらいの小さい勇気苦しみに負けない小さい勇気決めたことはやりとげる小さい勇気わたしは、そんな小さい勇気をこそ、ほしい。」
雀鬼流本当に大好きです。これからもホームページ見ていきたいと思います。よろしくお願いします!
篠崎 崇

本日二つ目のREPORTですが、とても良いメールだったので、思わず紹介させて頂きました。東井義雄さんという方が、担任の先生だったのでしょうか。とても素敵な詩を書かれる先生ですね。「澄んだ気持ちになる」というのが、良く分ります。続いて、篠崎君の文中に登場する、会長が沖縄で見つけた「詠み人知らず」の詩を紹介したいと思います。
「この世が完全であった時代には誰も価値ある人間に注意を払う事もなく能力ある人を敬う事もなかった。支配者とは木のてっぺんの枝にすぎず人民は森の鹿のようだった。彼らは誠実で正しかったが自分達が「義務を果たしている」という認識はなかった。彼らは互いに愛し合いしかもそれが「隣人愛」だと知らなかった。彼らは誰もだますことはなかったがそれでも自分たちが「信頼すべき人間だ」とは認識していなかった。彼らは頼りになる人間だったがそれが「誠」だとは知らなかった。彼らは与えたり受け取ったりしながら自由に生きていたが自分たちが「寛大」だとは知らなかった。それゆえに彼らの行動は語られたことがない。彼らは歴史を作らなかった。
〜詠み人知らず〜

これは会長が沖縄に行った時、沖縄同好会の松田がやっている「ゆんたく亭」の壁に貼られていたもの。会長はこれを見てとても感動し、この詩をいつも持ち歩いています。
「この世が完全であった時代」なら、「素直と勇気」なんて小学生でも分る事を、あえて言葉にしたりしなかったでしょうね。「JANKI-RYU」の本に出てくる方々の言葉も、実は小さい頃から教えてもらった「当たり前の事」ですからね。それこそ雀鬼流なんて言わずとも、みんな当たり前に雀鬼流だったのかもしれないなんて、思ったりします。
安田潤司
[写真:buna]

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