■2006/08/31(木)
≪ Vol.229
明日の選抜選手決定戦に向けて、下北、町田両道場では最終の打ち込み勉強会を行っている。最も大切なことは勝った、敗けたではなく美しく強く正しくしっかり打てること。そのための心構えと体捌きが必須で、基本動作の鍛練としてそれぞれが目標の壁にぶつかる原則として、自分が楽しければそれでいいという問題ではない。 打ってくれる御三方のために、しっかりと打つことで迷惑な思考や行動を行わない。 他の勝負事とは異なる雀鬼流の勝負理念である。それを追求することは、単なる勝ちを求めるより困難である。 気持ちだけでも、行動力だけでも傾いてしまう。両者がピシッと一致され、連続されてこそ良い型が生れる。最高位の選抜16名の選手達にはそれが求められている。 その上で「責任感」「納得感」「使命感」も持ち続けなければならない。そんな席に12名の選手達の内、5名だけが座れる。 健康…健康以前に精神的、行動的にもタフでいなければとてももたないのです。
何人も完全ではないから人とは過ちや悪い要素が顔を出すが、その時、その場で自覚し修正することで立ち直る「七転び八起」である。 転んでも、立ち上がればいいだけである。あぁまともの文を書いちまった(笑)。
路線変更ということで、ここんところ町田道場に御年配の方がやってくる。雀鬼流の存在すら知らずに、飛び込んでやって来た麻雀好きなお父さんである。
昨日も俺が他の仕事をしていたら、他の打ち手に、ああだこうだと注文をつけている。他の三人も雀鬼会では下のクラスの子で、お父さんの文句や注文を黙って聞いているが、どう転んだってそのお父さんの打つ方がひどい、汚い。全くどうしようもない麻雀を打っている。悪いのは、面倒をかけているのはそのお父さんなのに、悪かない若い子達に文句を言っている。
そりゃ多分雀歴だけは俺と並ぶものがあろう。麻雀を長い年打ったからといって、何も自慢になるものどころか、良くぞ今までそんなうす汚い気持ち悪い麻雀を打ち続けなさって生きて来たもんだということがみえみえ。
「大人」と「若者」
長く生きたもんが正しくて若いもんが間違っているという倫理が、人生にも社会にも麻雀にも等しく現われる。
卓上に「勇気ある音」「素直な音」をビシッと打てて何ボである。
「木津ちゃんがいう悪い食と良い食」
「鍵山先生がおっしゃる美学」
一歩外へ出ると、汚い毒ある音が聞こえて来る。そんな音や味がまかり通るのが、今日の社会である。
毒気が強いものが売れる。毒気を欲しがる大衆の構図。そのまんまじゃ治るどころか悪化が進むだけ。社会全体が毒気や悪化の雲に覆われてしまった。
俺はもう、
「手遅れじゃん」
と思っているが、鍵山先生は投げることも無く、
「いやぁ美しくなりますよ」
「汚れも洗えばきれいになります」
と、今も諦めずに全国を飛び回っているのだから凄いっすね。
「一日一善」はこの悪党にはムリですから、俺は、もう少し「一日一文」で行きますわ。安さん、よろしく。
雀鬼
はい、よろしくお願いしまーす。
安田潤司
[写真:229]
お天道様のような鍵山先生ですm(_ _)m
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