■2006/07/27(木)
≪ Vol.198
裏も表も、右も左も関係ない。心だけでも体だけでも行動だけでもない。
地球がまん丸ならそこで生まれた人間も丸い玉から始まった。その丸い玉が、すーっと伸びた点から線の型を示すのが、人間の姿に見えるけど、人間の素は円である。円の姿こそ、その人のありのままであり、点が伸び成長した成功という価値観は本当の姿ではない。
円が転がって転がって、土や泥を付けて、ちっとは大きい円になる。
子は親の生き様の姿を最高の価値観として追い求める。その姿を感じえた者だけが人間愛を知る。
俺自身、一番欲しかったものは両親の生き様の価値観であった。母親から頂いた愛はまん丸だった。父親からも丸い玉を頂きたかったが、受けた玉は歪(いびつ)だった。
親から子へ、丸い玉を受け継いで行ければベストだろうが、誰しもが、そううまくはいかない。そこに人間の苦悩があるのかもしれない。
歪の玉を受けた者達は曲がっていく。曲線を直すべく人生を学んでいくのだが、大概は曲がった道しか歩めない。
曲がった者達と点から線へ伸びた成功者でこの社会は成立している。丸い大人が希少なせいか、社会はどんどんどんどん歪んだ世界に進んでいく。
俺にとっちゃ、道場や家庭に大切な後人が何時だって側にいるが、残念ながら側等には、丸い姿の先人の姿はない。丸い姿の先人の存在が無くとも後人とその結びつきを保っていられるだけでも、感謝である。
先日、一通のメールが届いた。
その方のメールには、側等にいる丸い姿の先人を真に敬う真心が感じられる。メールをくれた方は、社会的にも立派な御仁でありながらも、その先におられる先人を心から慕い、愛しんでいらっしゃる。その姿を見て、愛しまれている大先人の御方よりも、後ろから愛しむ日々を送る方に、幸せ感を感じ取る。
決して人様の幸せを羨む訳じゃありませんが、「日本を美しくする会」の事務局にいなさる新上政弘氏は幸せ者であると思っちゃいました。
書いちゃいけない文であったかもしれませんが、どうかお許しくださいませ。
雀鬼
[写真:198]
雀鬼会は7/26から伊豆の別荘合宿シーズンに突入しました。さて、今年の天気はどうなるやら…。
≪ [Home]