■2006/07/16(日)
 Vol.192
雀鬼会が終って10日も過ぎれば夏休み。又、自然の中で大好きな若者達と寝起きし、皆してめしも食える。冷ための海水に岩場を潜って魚を追う。一年で最も楽しい日々が待っている。
今日は土曜。一期走ったものが疲れきっているが、最終の後始末をやりに下北本部も町田道場にも早くから皆集って来てくれる。「準備」「実行」「後始末」でワンクール。
安田潤司という男は知り逢った頃から、アーティストだった。映像、音楽、文学、その他諸々のアート的センスの持ち主でその才能を生かして仕事を済ませ、人生、生き様もアート感覚な男であった。彼の才能豊かなアート感覚センスが今や麻雀、いや雀鬼流と結びつき皆の先頭を切って、道場をアート風に仕切ってくれている。
安田潤司は何をやっても、述べても、根っ子に育ったアートセンスが現われる。俺は麻雀打ち、安田はアーティスト。その才能がうまく結びついて雀鬼流が動いていた。俺にとってアートとは、その長い歴史の中では、数少ないプラスエネルギーを感じるものもあるが、多くのものにマイナスエネルギーを感じて違和感や避けたくなるものの方が多い。アートの素晴らしさ、美しさより恐らしさを感じてしまうことの方が多かった。俺とアートとは無関係。俺の中には芸術は無いと思っていた。
前日のHPの安田の文にあるようにアートうんぬんの本に特集されていた。ランイホルト・メスナという名の登山家は俺の中で憧れの冒険家で、ジャック・マイオールと伴に尊敬する世界人である。近代麻雀等でギャル雀士だとか、女性美人プロなどと並べられるとヘドが出るが、ランイホルト・メスナと伴に特集を組まれたことに我ながらびっくり。運命の糸、願いがこんな型で繋がったことに何か不思議な気持である。
雀鬼会唯一のアーティストである安田には、アートセンスの無い俺は何時も下に見られ、馬鹿にもされていたが(笑)、芸術、アート系の本に俺が出られたことでやっとこさ遠くに安田の背中が見えたような気がする。
安田!!お前さんは確かにアーティストだ。だがよ、たかが小っこい日本の芸術家じゃねえか。俺を見ろ。今や雀鬼ともヒーリーとも呼ばせない。本日をもってして安田と木津、真輔もだが俺のことを「世界のアーティスト」と呼びなさい。
しかし、おもしろいなー。雀鬼流の道は色々なところへ通じている。「心温かきは万能なり」か。
この日をもってして、俺はやっとこさ、安田を越えたってことね(笑)。よろしく。
安田は何時だってワイルドなアーティスト。俺、俺はね…、今や世間じゃ、ワールドアーティストと呼ばれてらぁー。
雀鬼

誰が呼んでいるんでしょう?(笑)
という冗談は差し置いて、会長はアーティストですよ、最初から。僕は映像をメインにやってきたので、色々なアーティストを被写体として撮ってきました。そんな中でも、数少ない絵になるアーティストです。始めて会長が麻雀を打っている姿を見たとき、その無駄の無い流れるような動きに
「ああ、この人はプロフェッショナルだ」
と、感じたことを思い出します。その時から、僕の中で会長はずっとアーティストでした。それも反逆の。以前そう言ったら、
「俺は反逆とかじゃねえよ。右も左も関係ないもん」
と、言われました。でも、それが反逆なんです、僕的には。世間一般の常識から考えると、雀鬼流は逆説。でも、真説なんです、僕にとっては。
会長が今と同じ事をおっしゃっていたとしても、大学の教授だとか、どこかの企業の社長とかだったら、僕は話しを聞かないだろうし、こんなに長く側にいなかったと思います。裏も表も、痛みも温かさも知って、それでいて今の位置に立っている会長だから魅力的なんです。それでもって、
「そんなもんには、俺は絶対に頭を下げねえ!」
と、言い、それを実践し、更に全てを分かって、ちゃんと受け止めた上で、
「知ったこっちゃねえや」
と、言う会長が僕は好きです。そして、そう言うと、「それも知ったこっちゃねえや」と、笑って言われるでしょう。
そういう遊びの感覚、洒落の感覚こそ、人間の色っぽさに繋がるんだなよなぁ、と、会長を見ていて思います。
安田潤司
[写真:192]
遊び心のある仲の良い二人のワールドアーティストでーす。

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