■2006/06/29(木)
 Vol.176
高槻Jr.決勝が笑いの中で終り、本部でも最終ラインに突入し、昨日選抜の準決勝があったが、村瀬、金村、安田が選手に回った為、審判が弱かった。
雀鬼会本戦では、ある意味打ち手の選手以上に、審判の重要性が求められる。今、行われているサッカーのワールドカップであれば、雀鬼会の審判はジーコであり、監督やヘッドコーチの役割を持つ。選手と五分、それ以上の見識や力量を持たないと、審判が試合を仕切れず、試合は成立しない。
雀鬼会では、現役選手が審判も兼ねる。信頼ある者が中心となって、数人が補助につき、出来る審判から、状況、状態による決断や、選手の弱めに対する修正力も学ぶ。瞬間で気づき、行動を起こせなければ、審判はつとまらない。
審判が上手になれば、今起きたこと以前に、これから起きるである予兆とか予想も感じられるようにもなる。瞬間の変化や十字路での選択、進む方向性、それぞれの持つエネルギーの動き、多種多様なことを感じられ、間に合わせることが出来るようになる。
雀鬼会では、正しい審判が出来て一丁前となる。麻雀を正しく、強く、美しく打てて、その上で審判もできることが、目標となる。
審判は選手以上に、全体や流れを読みとるプレイヤーでなければならない。基本動作を正すことで、選手達には美しく、正しい運動能力が身につき、卓上に連動の流れを作り出す。タフな運動能力と、変化に対応する瞬間的な知恵や思考の一体感だけが、「打ててる」状態を作り出し、そのバランスが傾くと、全体が壊れていき、卓上に乱れや汚れが残る。
「オットこんな文章は専門誌に載せる文で、HP用じゃありませんでしたね(笑)」
要はね、昨日、村瀬、金村、田所、パセ(新人)の四人が、揃ってA評価を掴んだんだよ。一人が踏ん張ってA評価を取ることだけでも大変なのに、一卓全員四人がAを取ったのは始めてのことでして、この評価は、優勝する以上に意味あることなんですよ。ここまで村瀬道場長と金村四天王の2人だけは6回戦全てA評価、基本動作の美しさの上に、心の強さも加味し、「揺れない心」でないとなかなかAは取れない。
玄米族副頭の安田なんかC(全くダメ)は一回取ったけど、今だA評価を一度も取れない。玄米族だろうが、選手部長だろうが、その価値が入り込めない「公平差」があるんです。
ちなみに隣で打った安田卓は、安田がまあねぇ評価のBで、牧野が熱海から通ってくれても打てなかった残念でしたのB’評価。小島と花岡にいたっては、お前らJr.かJr.2かよというC評価がつけられちまう。良ければ良し、悪ければダメ、美しければよし、汚ければ洗って来いが、点棒の勝ち負けと違う次元で置かれている。
残すところ決勝一回。何人が選抜評価点合格ラインを越えられるのだろう。半分は無理かな。
決勝戦は、志村、金村、村瀬、橋本四人で打ち合う。雀鬼会のヒョードル、ノゲイラ、ミルコ、シウバが打ち合う。そこまでじゃ、あんめぇけどね(笑)。
安田は多田と伴に、過去の領域にコソコソ入って行っちまう(笑)。40代で打てるほど雀鬼会は甘かねぇよなーと、俺も過去の人かねぇ、志村さん。
雀鬼

[写真:176]

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