■2006/05/28(日)
≪ Vol.142
「この世が完全であった時代には誰も価値ある人間に注意を払うこともなく能力ある人を敬うことも無かった」
今俺は町田道場の自席のそばに貼ってある詩を読み返して懺悔している…。
思い返してみれば安田潤司殿の言動はまさにこの詩の教えを貫き通し、我々下賤の者達に身を持って行動し教えて下さっていることに今頃気付いた。
雀鬼会だ、会長だと価値付けし、麻雀というゲーム一つ取っても自分に他人様より能ある者とした顔を捨てきれずに歩む俺に対する戒めとは知らずに安田殿を上目に対する無礼者呼ばわりしている我が身の小ささに恥じている。
イエスやアラーや仏陀の教えすら守ることの出来ない愚か者の俺が、安田殿の導かれるこの世を完全にするが為の教えを感じようも無く、完全であられる安田殿に不完全だらけの己をぶつける。その行為こそ最悪である。
「支配者とは樹の天辺の枝にすぎず人民は森の鹿のようだった」
俺こそ正に、お山の大将気取りの姿を装うが真実、森の樹の枝に過ぎずその枝さえも明日にも枯れ落ちる寸前。実も葉も花すらも付けられぬほどのもの。
それに比べれば、安田殿は幸せで平和な地を美しく走り回る鹿の化身であるに相違ない。安田殿の無駄のない美しい肉体とどこまでも優しく輝くまなざしを見れば、誰しもが確証できることだろう。
若葉や実をつける内に気付けなかった枯れ木の俺には遅いかもしれないが、地に落ちる寸前の今人の在り方の意味を少しは理解できました。
安田殿、この度もこの悪党を見捨てずに教え導いて下さったことに深謝いたします。
枯れ木より
「家出しようか」「出家しようか」
迷ってます。
[写真:simura2]
悩む会長を正視できず、泥酔し道場の厠で泣く町田の某選手。
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