■2006/05/03(水)
 Vol.117
今年の春はポカポカ陽気も少なく、肌寒かった。
五月に入るとすぐに、一気に真夏日の暑い一日が記録され、そのあくる日の今日は、一気に30℃を越えた真夏日から、15℃に戻る。その上、局地的な豪雨は降るし、雷まで鳴り、強目の地震まであった。異常気象とはいえ、この変り目に順応する生き方は、我々日本人には持ち合わせていない環境変化である。
異常気象もそうだが、異常社会が並列して存在する。政府が行う「改革」どころか、この地球に住む生物は、凄まじいスピードで、大きな変化を見せて来た。異常社会の中でも生きていける人間になるためには、自らも異常な生き様を、平常から持たなければならない。
「異常が平常」
平常感覚というものは、現代に生きるもののためには必要のない部分として、失われて行く。平常感覚、平衡感覚、バランス感覚という感覚は、生きとし生きるものには必須条件で、それがくずれた時、ある種族は破滅し、この世から生きるものが滅亡する。
人は新しいことや珍しいことに興味を示し、それを求め、作り出すことで、新しい文明や向上や進歩があった。変ったことを追求するあまり、変になったり、違ったことを求めるあまり、異常になることも起る。そのような感覚はどんどんと増大し、人間として生きる上に、生命の中に、しっかりと棲んでいる宿命であろう。
100年近く前、南の島の豊かな自然の中で暮らしていたツイラビ首長が、その当時のヨーロッパ文明の姿を見て、
「パパラギ(白人)の社会は間違っている。そうなってはいけない」
と、一つ一つ語っている。パパラギ達の生活様式を見て、あの姿は人間が求めるものではないと指摘している。
それから一世紀近く至って、文明社会の世は、本当の人間が棲まない、違った人間が住む社会になってしまった。古代人から現代人、まさに「進化論」であろう。人間が作り出したものなのに、対応出来ないことばかりが生活圏の中にあふれ出ている。
時代遅れ人は、何時の時代にも存在したであろうが、今やその進み、どんどん、どんどんと置いてけぼりを食っている日々を痛感している。
(注)この原稿も某出版社の原稿の下書きだから、まだ表に出さないで下さいね。
雀鬼

[写真:117]

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