■2009/07/10(金)
≪ Vol.1106
どうしてもということで、兄や妹が住んでいる埼玉まで親戚の法事に早朝七時から出発進行。
三時間近くかかって、寺には一番乗り。由緒ある寺らしいが、いまだそちら方面には興味がわかない。
母親の姉だった方の三回忌と法要だったことで年老いた方々が多い。段々と自分が60年前にタイムスリップしていく。そういやこの寺の付近の山で松茸を採りに行ったことがある。戦中を母に連れられて、疎開先としてもお世話になった地だった。前面、一面の畑の向こうで、地平線がピンクっぽい赤い空を母親に抱かれて眺めた頃の赤子だった自分がいる。
「深川が燃えている」
と、大人達が悲壮感がある声を上げているのが耳にこびりついていた。多分その頃、下北沢にあった生家も焼夷弾にやられて全焼。木だか竹だかを割って、中に潜む何かの幼虫のたまごを炒って食べたこともある。今からたった60数年前のことだが、親達も幼子達も生きるだけで必死だった時代があった。
終戦を迎えても年の暮れになると、我が兄妹達は母親に連れられてその地で過ごした。
「ごはんだよ」
という一声だけが感激するほどの喜びだった。母親時代の御恩ある方々は全てこの世を去り、次の世代の方々も80才の中盤に入られている。
法事の席で
「しょうちゃんはエースだから一言」
と紹介されるが、言葉よりも60年前のことが走馬灯のように浮き上がって来る。その頃のその地の親達は、食うか、食わずかの暮らしの中でもこんな俺に笑顔とやさしさだけを下さった。
法事が終わって、会食が終わっても、「しょうちゃん、遊ボ」と当時お世話になった家々の子供達が思い出の場を作って盛り上げてくれる。遊ボったって、もうみんなお爺さんかおばあさん。皆して今を忘れて60数年前に戻っている。
夜が更けて三次会になる頃は、体調をこわして苦しむ方達に少々の治療をほどこす。皆さん長年の御苦労の末、あっちこっちが悲鳴をあげていなさる。
「ちょっと寄ってって」と、最後のお宅におじゃまする頃は長い一日が過ぎていた。
幼少の頃にタイムスリップしたせいか、自分でもびっくりするぐらい食欲がわいてきて、いつもの5倍ぐらいの食事を次から次へとおいしく食べれた不思議さを感じていた。
「遊ボ」と「ごはんだよ」の法事の席だったが、長くて深い時を過ごし、深夜に車を飛ばして帰宅。子供の頃のようにやんちゃして帰って来た自分が我にかえると、年なりの疲れがどーと現れた。無理はないよなー(笑)
皆さんはもう、とうに前線から退かれ、業務の方はお子さん達の時代になられているが、俺、オレはもう少し現場で立たして置いている。
良いことか、悪いことか分からんが、老害だけは避けたいよね。もう充分そうだって、橋本、そんなこと言うなって。多田や花岡がそう思っててもなー。
明日は大阪へ ーあーあ、つかれた(笑)
雀鬼
[写真:1106]
会長、大変失礼致しました。いくら多田さんや花岡さんが上の方々とはいえ、己なく、ただ右ならえになっていた自分を恥じております。多田さんは麻雀で、花岡さんは海で、すでに会長を超えたとお思いのようですが、だからといってあんまり会長のことを「老害」扱いしないでほしいと切に願います。
追伸ジーコさんは格闘技で会長を超えたそうですが、まず肩慣らしで山田マネージャーを倒すためだけに高槻に乗り込むそうです。(橋本)
老害といえばむしろ、多田、花岡でしょって言いたいんでは?橋本さん。(x_x;)まぁ害にならないようにもう少し頑張ります。
先ほど、下北道場から高槻に向けて、シャボ・カーが、今川さん達を乗せて出発しました。今期はどんな決勝戦を見せてくれるでしょう?楽しみです。(花岡)
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