■2006/04/26(水)
 Vol.108
今日は、選抜2回戦の後半の部が下北道場で、これから行なわれる。
前の試合の日は、道場でスタッフが用意してくれた下北沢の古い昔の味をそのまま引き続けている三吉さんのコロッケを食う。何の流れか、哀愁とか思い出の味を恋しくなって、今日も道場へ入る前に、昔からある古い店へ一人で行く。年老いたその店の奥方が、店のテーブルの上で、おしんこと冷やっこで夕食を摂っていた。その方を気遣って、誰一人居ない「來々軒」という名の女主人に向かって、大きめな声で「チャーシュー麺をお願いします。」と注文する。どうにか一度で俺の注文が通ったらしい。店の片隅に置かれた小型のテレビに目をやる。雨降る中、広島球場での野球が映っている遠い昔を思い出す。
敗戦国家であった日本人に、生活は貧しくとも少しずつ楽しみが生れだし、力道山がプロレスブームを作り出し、リングで外人選手に闘い戦争と同じく、始まりはでっかい外国人選手にやられっ放し。めちゃくちゃにやられその上、反則攻撃まで受けると、リングアナウンサーが「リキ怒った、リキが怒りました。」というと同時に、力道山が空手チョップを使って逆転して勝つ。水戸黄門ばりの映像に、大人も子供も、凄い凄いと大喜びしたものだ。その時代、カラーテレビどころか、白黒テレビさえまだ一般の家庭には無く、下北沢駅前にあった街頭テレビには、プロレス放送の時など黒山の人が集り、後ろの人たちは自転車の上に立ったり、電信柱によじ登って見たものです。
そのテレビが「來々軒」さんにもあり、プロレス放送の日は、それを見たさにまさに超満員状態。そば屋さんのほうも考えて、その日に限ってはそば巻だけを売って、人をワンサカ店の中にいれてテレビを見せていた。中に入る事すら出来ない我々子供達は、店の横の20〜30cmの狭い路地から窓を開けてもらって、重なり合ってプロレスを見たものです。貧しくも苦しい時代であったが、今思えばありえない体験が、「來々軒」さんにも俺の心の中にもある。
昔と少しも変わらぬラーメンの味を、汁を一滴も残さず食い、ごちそう様でしたと600円を払う。当時20〜30円だったラーメン代さえ払えずに、窓の外からテレビを見た頃が、すぐそばに感じる。
「哀愁とは、長い時代が、身近に感じる思いを言うものであろうか」
その店も、今は通りすがりの人には目に入らないが俺ん中ではラーメン一杯だが、頭が下がる味であった。肉の三吉さんもラーメン屋さんの來々軒さんも、70年80年の長さがある。連続性は生命であり、何より大切なことでもある。
HP最終回、皆さん今までありがとう。。。
・・・これで、HP更新仕事から開放されるっ!(笑)って、訳があるはずも無く、試合後、町田道場の方に戻られた会長から、また、すぐファックスが。。。(花岡)
ホレ見ろ安田!!前回の試合のぬるさと、おもちゃばっかり作って、遊んでっから熱湯かけてやると言ったろ。
今日の試合は大火傷。対戦相手の小島は、本戦中眠って打っているし、花岡はコンピューターボケ。その熱い(?)湯に入ったお前さんまで、何も出来ないやれないダメ打ちばかりで、大赤は食うは、その上俺の評価点は最低ランクのCをつけられちまう。前期優勝者の落日だ!!火傷の方は、痛いだろうけんど木津ちゃんに治してもらえよ。
隣の卓では、金村四天王が引っ張って、金村に加えて塩飽と古島までがA評価。古島の金村相手に92pの大台をたたくわ評価点もAということでヤンマーがまじ切れ。あの気持ちのぬるい甘い弱い古島がダメ出しを食って何ぼの人生。初めての当りくじを引いたんだが、その効果の程はだなJr、JrIIクラスで、今川、理絵に、大の男がそろって負けちゃっている流れにあんじゃないの。そうよ。女の子には悪いが「女々しい」流れという奴ねえ。今んところ雀鬼会は、女々しい奴が天下を取っているてえことじゃない。
「『ということは会長。俺は男の中の男』つうことじゃないですかー」
と安田は、思っちょるだろうけんど安田だけは別。ほれみろ、ギャル雀どころか「女女子流」になっちまったじゃんか。それも全て選手部長の安田の責任・・・
「やっぱり俺かぁぁー。」
雀鬼

[写真:108]

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