■2006/04/25(火)
≪ Vol.106
分かっていたが、かつて平成の雀鬼丸と呼ばれた、佐々木秀樹にも、10年振りの選抜の試合の壁は厳しかった。
終ったあと、しばしその席で卓上に、牌を一人打ち出す。その後ろ姿は、清川の代走を無事に乗り切れなかった淋しい打牌の音があった。佐々木の無念の背中に、突如出場を申し入れた俺の行動も同心として重なる。
その日、偶然いや、必然的な感覚で下北駅に同じ電車で着く。本戦の日のために日々鍛錬、特訓する者ですら、本戦は全国大会以上の緊張感をもたらす。その中に、準備すら一日もない佐々木が加わる。緊張感の強さと周りの動きの速さに着いて行くことすら、急な出場の佐々木には酷な話である。打ち合う相手も選抜の下位クラスならともかく、今、打ち盛りの四天王の村瀬と、志村が同卓する。もう一方の隣の卓では、中堅どころと下位陣で打っている。せめてその卓なら佐々木も修正がきいたはずだ。佐々木に10年振りに一番高い山に登らしてしまった。これも運命であろう。
一回戦目に、微細なペナルティーを犯す。ペナ点を20p取られる。審判に着く安田もそれを決断せねばならぬ俺も、非情の決断であった。
二回戦目にはトップを取ったが、三回戦を終えて、ペナルティー分敗れる。勝った負けたは、どうってことない。頭を垂れて帰る佐々木と、だまって握手をするだけ。
それにしても、情けないことがある。清川の病欠により、その穴を他の選手や道場生でうめられない状況は、恥ずかしい。
「お前なら変わりになれる」
「僕にまかせてください」
と、思える人材が居ないという淋しさがある。この方が、指導者として、残念無念である。佐々木は、厳しかったかも知れないが、俺は、良い体験が出来たことと信じている。
10年前、若干20才の佐々木が俺の代走として最強戦に出場した折、
「会長やっちゃっていいスカ」
「やっちまえ」
ということで、ぶっち切りの攻撃麻雀で優勝して俺の目からは涙が出た。
そして10年。今度は、佐々木が俺のHPを読んで涙が止まらなかったという。清川も、大先輩の佐々木が代走を喜んで引き受けてくれたことを知って、きっと涙を流したことであろう。それもこれも雀鬼流の流れなんだよな。
同卓した村瀬も志村もしげるも、一歩も引かずに打ち合い、丸を引っ張って打っていたことも素晴らしかったよ。それに比べて安田、お前はおもちゃばかり作って、あにやってんだ。この話は前号で書いたからボツ。
それに比べて情けないのは、選抜の下のクラスのJrもJrIIも理絵坊と、今川姉さんの女性のたった2人参加の上で御二人に両クラス伴、トップを走られている。漢道の看板をはずして、来週からギャル雀、お姉雀にするしかねぇな。もちろんハゲは出入りお断りです。
雀鬼
[写真:106]
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