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■2011年4月25日(月) Vol.1620

家で家人と2人、 別に語ることもなければ 用もないてことで道場に来たら、 ここでも橋本さんと2人ボッチ。
一人で居る時は何かやったり、 落ち着いても居られるが、 二人って一人より淋しいかも知れない。
こんなひま人でも 先週は忙しくってバタバタしていて、 孫とあまり触れ合えなかった。
孫も2才半を過ぎて 自我とか自立心が芽生えて、 一人遊びが出来るようになって、 成長に少しつまらなさを感じてしまう。
六月になれば六番目の孫が生まれる。 そしたらまた遊んでもらえるかも・・・

東北大災害があって、原発問題が 東京と福島の人々の心を不安にさせている。
社会も変わり目を考えなきゃいけない時期に来ているが、 雀鬼会も今まで通りとは行かず、 違った型でもう少々何かをやる方向へ 大きな変換を見せることでしょう。
23年間、やりたいことを 道場生の協力を持ってして 成せたことにありがたさを感じ、 小っこくして小っさいことが 出来ればいいと思ってます。
オット、 下北から深山がやって来て3人になれました。
「ヤッホ!!」

         雀鬼




今は新屋も来て久々の身体使いです!(橋本)
会長でもなんでもかかって来い!(新屋)

■2011年4月24日(日) Vol.1619

宮城から帰って一週間が経ち、 今頃疲れがやって来たのか、 土曜日は家で寝過ぎてしまって、
「かったるい」
年を取ると疲れってだいぶ後にやって来る。
家人が作り置いたカレーを三食続けて食する。 ここんところ食にこだわりが入らず、 マックなんかも食べている。
昨年は出版本を17冊も出させて頂いたが、 今年は数冊かなと思っていたんだが、 多分、10冊ぐらいが出稿中。
どこの出版社で何ていう本を誰とやってんのか さっぱり分からん状態ですが、 こんがらがってもハチャメチャでも 何かが出来ている内が花ですよね。
もうすぐゴールデンウィークらしいが、 こんな時でもゴールデンがつくのかな。
それが過ぎたら 「シャボ基金」の福島行きが・・・

         雀鬼




本年度も10冊くらいとのこと、 「会長のお言葉を聞きたがっている人はたくさんいる!」 とあの羽生名人も(熱く)語っていらしたそうです。 (お送りの運転手の深山談)
しかし、そのためのたくさんの取材もあいまって、 会長もかなりお疲れがたまっていることと思います。 道場生も石巻行きではかなりの疲労があったようなので、 もうすぐ訪れる何とかウィークはお休み予定(?)です。
福島行きは・・・ シャボ行動隊長のご意向により、 おそらく実行されると思います!(?)
それにしても、作り置きのカレー三連続にマックって・・・。 また一般の読者の方々が驚いてしまうのではないでしょうか。 ダッチさんやラーメン源さんなどのおいしいものを 召し上がっていただきたいです。
ただ、被災地の方々のことを思うと、 普通にごはんを食べられることが 本当にありがたいことなんだなと自分も感じています。(小島)

■2011年4月22日(金)その2 Vol.1618

シャボとたった二人きりで東北へ行って・・・
来ようと思ったんだが、 着いた先は水道橋の後楽園ホール。 なんとそこで総合格闘技の小路晃の 引退興行をやっていた。
ちょっと覗く。 受付を通ると、 案内された隔離されたゴンドラ席に、 白鵬等の名前が張ってある。 特別な席かも知れないが、 下のリングサイドの方が見やすい、 ということで降りてしまう。
久しぶりに目の前で見る総合格闘技を シャボと伴に楽しんじまう。 ドリームの代表である笹原さんを始め、 何人かの知り合いと挨拶する。
小路は、俺が大好きだった 第一回目にヒクソンも出たプライドという総合格闘技が、 絶好調の頃、 最後の日本男児と冠を受け、 好試合をリングの上で見せていた。
道場や別荘まで小路はやって来て、 よく身体の動きの指導らしきものをやったっけ。 格闘家の中でも小路は最も純粋な男として 何かと触れ合いがあったっけ。
37歳で引退か・・・。 早いんだが遅かったのか、 身体一本の勝負はそう長く出来ない。

メインの試合で、 現役の強豪である三崎選手と闘う。
小路のことが大好きな三崎選手が、 小路の最後の試合で少しも手を抜かず、 圧倒して小路に勝ったが、 勝った瞬間、三崎の目からどーっと涙がこぼれる。
三崎選手の戦い振りの良さで、 小路も幕引きを良き型で終れた。
引退セレモニーが行われ、 20名近くがリング上に花束を持って登場する。 最後の方になってリングアナウンサーが 何か力強く、雀鬼、桜井章一様、ときた。
俺なんだ・・・、花は?
そこはシャボさんは茨城の花屋さんですから、 しっかりと準備してくれ、 リングに上がった俺に手渡してくれる。
観客の声が「ウォッ!!」と届く。 何が「ウォッ!!」か分からない。 「先生!!」という声もあった。
リング上で立つ小路に、
「勝負って非情だな」
「はい。ありがとうございました」

俺は俺なりに十分と楽しめたんだが、 シャボさんはどうだったか分からない(笑) シャボの運転であっという間に、 町田道場に着いちゃいました。

         雀鬼




シャボさーん!!楽しめたでしょうか? ドライバー、カメラマン、花屋と、 お一人で3役も4役も、ありがとうございました。 小路さんとは道場や別荘で何度も触れあわせて頂き、 やはり身体を使って闘われている小路さんは 日常でもとても気持ち良く、 一緒に遊ばせて頂きました。 またいつか道場で一緒に、 会長と身体使いで遊んで頂きたいですね (ダッチ)

■2011年4月22日(金) Vol.1617

菅の野郎が避難所の男女から、
「知らんぷりして通んな」 「国民に対しての誠意のかけらもみれない」
と叱られ、 ゴメンナサイと謝っていた映像が、 テレビで流れていた。
一国の最高責任者なら、
「よーく、かけつけてくれました」
と歓迎されて何ボだろう。
民主党はおろか、 俺、今の政治家に人材なしとして、 選挙すら行っちゃいないが、 一票入れた方々なら、 文句ばっかりたれていないで、 菅に少しはハッパかけて 応援してやればいいのに。
これじゃ、国民も政治家も、 手のひら返す感に見えてしまう。

その点、俺なんか雀荘のオヤジだから、 得意の忍術を使って、 自分の姿を消して帰って来れました。
国民の代表である立場にある者を尊く思えないって、 日本って悲しい国だよな。
党に関係なく、全議員が一日ずつ当番制で、 原発の3km圏内にテントでも張っていりゃいいんだ。 官僚のトップクラスと、 東電の利権にたずさわった連中のトップもだ。
そうすれば、原発に対する考え方も変わるんじゃねぇかい、 後ろに居るなって!!

         雀鬼




会長はいつも現場を大切にされていて、 もしも何かが起きた時には必ず真っ先に動かれます。 そういう姿から、 僕ら道場生は信頼感や安心感をもらって、 それぞれの強い個性がありながらも、 素直にさせてもらったりしていると思います。
とにかく、トップの方には、 カッコ良くいて欲しいと思いますし、 後ろの方に引っ込んでいてはカッコ悪いばかりです。(緒方)

■2011年4月21日(木)その2 Vol.1616

仕事に向かう車中、娘から電話が入る。 孫に顔を見せて欲しかったらしい。 少しぐらいならと娘の家へ。 孫が外の小っこい庭の砂利のそばで 一人待っていた。
「何してんの?」
指を指す先に小っこい雑草が顔を出している。
「ヨシッ、ハッパを買いに行こう」
と、近場のホームセンターへ。
小っこい植木鉢に入った赤や黄の花が咲いた葉っぱを 孫が10個ぐらい選ぶ。
「アオちゃん、この葉っぱとお花にお水をあげてね」
に、じょうろで遊べる姿を見せて嬉しがる。 車の中がお花畑になる。
ちょっくら時間を食って 道場で原稿を書いているところへ、 よしもとばななさんがわざわざ来られて、 2度目の取材を四時間ちょっとこなす。
先日ばななさんよりメールで
「次回までに自分の中の悪を呼び覚ましておいて、  悪についてもっと掘り下げて質問をし・・・・  私にとって一生に一度の本なので  ベストを尽くしたいのです・・・・」
うんぬんという熱い挑戦状(笑) みたいなメールが来た割には、 やってみたらやっぱりばななさんは 俺にパンチをくれるようなこたあしちゃくれませんでした(笑)
ばななさんの御希望通りにならなくて まっことすいませんでしたね。
何を語ったのか・・・。 終わった後に北海道産物を食べたのは しかと残っています。
五日振りのめしでした。

         雀鬼




笑われるとネ〜コの目のばななさん。 もともとはゲキ的会長ファーンなだけなの。 それでいいの〜 それがいいの〜 と思われていたのはまちがいないんです、ばななさん。 でもこのチャンス!! とはいえ、会長の前、パタパタしちゃいますよね(笑) そのパタパタしたかんじの かわいいばななさんの本、読みたいです。 そのまんまの本、楽しみにしております。
町田ばなな担当 今川

■2011年4月21日(木) Vol.1615

知らない地に、 知らない方々を訪ねて行く。
「有り難迷惑」とか「お節介」な行為があることも 重々承知した上で、町田道場っつう小っこい点から、 線をたどって行くしかない。
雀鬼会にはみんなが集まれば、 それなりの輪が出来るんだが、 行く先ではその輪すら、 小っこく、小っこくしていなければならない。
なんでだか、行く先ではこちら側が頭を下げっぱなし。 その上、出来る限り目立たぬように、 向こう様、特に避難所の方々からは 「お礼」の一つも言われちゃダメだと思って行動した。
こっちの小っこい点と、 向こう様の濁らぬ一点であった掃除の会の松さんは、 初対面でお逢いした瞬間、
「親分」
ときなさる。 多分、日本を美しくする会・本部の新上さんから それらしき者が行くとお達しがあったのだろう。
「会長」でも「ボス」でも「親分」でも、 「先生」と呼ばれるよりましだわな(笑)

         雀鬼




普段から先生と呼ばれ、 しかも避難所では拍手で送られてしまった深山です。 避難所ですれ違う人々に「ありがとう。」と言われ、 拍手で送られた時は、ありがたさや嬉しさみたいなものも、 もちろんありましたが、 それ以上に申し訳なさに似た気持ちがあり、 自然と頭を下げていました。 自分の行動を誇らず、おごらず、 自然体でやっていこうと思います。(深山)

■2011年4月20日(水) Vol.1614

25時間ぐらい狭い中に閉じ込められて、 少々腰が痛ぇかなーと思っていたんだが、 宮城から帰って一眠りすると いつも以上に心身伴にすっきり感があり、 今だ疲れがやってこない。
多分極度の疲れの壁を通り過ぎて、 逆に楽になっている。 俺は小っこいお役目を一つこなした気分 なんだろうが、同行した道場生は今だ、 大変な疲れが残っていることでしょう。
彼らに俺が無茶させちゃったことで、 孫と遊んでいてオモチャの刀が 顔面に来るのを避けられず、右目に刺さる。 オモチャだからたいしたこたぁ無いんだが、 もう数mm右へそれていたら、 眼球をやられた可能性があった。
宮城から帰って、 結構、取材やら原稿やらで忙しいんだが、 宮城行きを思ったら、 今は全てが楽ちん楽ちん。
シャボ基金も組織立てずに、 一方一方の個人個人のお志で、 400万もの基金が集まってしまいました。

さてさてこの先どうしたらいいのやら、 もうシャボに行けやなんて言えやしません(笑)

         雀鬼




今回は康夫さんの4tトラックに同乗させていただきました、 下北道場の森と申します。 自分は帰って来てからも、被災された方々の笑顔が忘れられず、 温かい気持ちと、申し訳ない気持ちでおります。 微力ですが、自分に出来ることをして行きたいです。 会長、シャボさん、みなさま、力不足の自分でしたが、 貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました(森)

■2011年4月19日(火)その3 Vol.1613

片づけを終えて、大部屋、小部屋を回って 子供さんにポチ袋を配る。
元議員さんらしき人が、
「皆んなが喜んで、お礼を  申し上げたがってますのでどうぞ」
と何度も誘われたが、 松さんと道場生の後ろへ隠れちゃって出ない(笑)

4班に分かれた道場生等が19時に、 河南市役所前に集合。 全てがシャボ班長の元で行われた行動も、 どうにか終了。
支所長の伊藤さんを始め、 市の方々が一列になって我々を送ってくれる。 新上さんから松さん、伊藤さんと、 良い方々に恵まれ、ありがたさを感じる。



慣れない道を走るドライバーのシャボ、 金、康夫、森、歌ちゃん、深山、BIG、横山は 気を使い過ぎたことで、疲れは半端じゃなかったろう。
「行って、やって、帰るだけ」
なんだが、帰路のパーキングで見る彼らは、 まるで避難民のごとく疲れ切っている。



「何で俺だけ眠くなんねぇんだろう」
と思っていた矢先、 栃木に入った頃あくびが三発出る。 少し横になるわと休んでいたら、 自分の足がドスンと下に落ち、 情けねぇことに30分ぐらい落ちちまう(笑)
何度か眠ったとはいえ、 運転先導車だった歌ちゃんの肩が上がったり下がったり。 助手席の恒ちゃんも味噌汁作りで疲れちまって、 頭を揺らし、前方へ倒れこむ。 理絵だけは眠たい時に寝て、 起きたい時に起きていた。
家路に着いたのは25時間後。 家人の迎えなし。 一人風呂を沸かして、何10年振りかに インスタントのチキンラーメンを作って、 半分食べ、3時間程経って眠りついた。
正直、途中、道場生の困難さや苦を見て、 俺ってなんて事を始めたんだろうかと、 反省した。 シャボなんか、前回はもっと遠い岩手の宮古の地へ 清川と二人行き、ほとんど休めることも無く、 今回も明るく、元気さを皆に配りながら行ってしまう。
彼らの辛さを目の当たりに見ていると、 やってしまっていることに後悔みたいのがわいてくる。 困難な体験だったかもしれないが、 忙しい中にも同行してくれた者に、
「勇気と素直」
を感じずにいられなかった。
シャボ基金に御賛同下さった皆様と、 現地の方の良心があっての行動でしたが、 雀鬼会の姿はちゃんと消して来ました。
善行であっても、 パフォーマンスでもあってはいけないのが 「シャボ基金」ですもんね(笑)
次はどうしたらいいのか 今のところ分かりませんが、 本音です。

         雀鬼




今回の石巻行きは、予想はしていたものの、 はるかに体力的に厳しいもので、 さらに遠い宮古へ二人だけで行ってくれた、 シャボと清川には頭が下がります。 津波の被害が大きかった地域を目の当たりにすると、 何の言葉も出ず、 避難所の方々に感謝の言葉を頂いても逆に、 一日だけですみませんという気持ちになりました。 現地を見てしまうと、 テレビで繰り返される「がんばれ」がいかに軽いものか。 そう思っても個人でできることなどわずかで、 今回、シャボ基金に心を頂いた皆様の思いを届ける一助ができたのは、 大切な体験です。 なにかをやったなどという気持ちにはなれないですが、 行動できる一員とした加えて頂いたこと、 ありがとうございました。(歌田)

■2011年4月19日(火)その2 Vol.1612

俺が同行したことで、 一時間おき位の感覚で、インターで小便タイム。



シャボから見れば、 ロスタイムを作る俺は只のお荷物。 安達太良山が見えた頃、山の向こうから 真っ赤な朝日がどーと昇ってくる。
4時半が過ぎて、歌田が横山と運転を変わる。 マニュアル車である歌ちゃんの車を横山が、 三歩進んで五歩下がる(エンスト)を何度か繰り返し、 とうとう止まっちまって、 高速道路上で渋滞を作ってしまう(笑)
宮城へ入ったところで海も無い平野の中に、 小船が、車が、流れてついている。 家屋の崩壊もあちらこちらに見てとれる。



朝の九時過ぎに石巻港の被害地である港付近を車で巡る。 市街地にも津波の被害の後がいまだに残っていて、 町は死んだような状況になっている。
倒れかけた和菓子屋さんがあって、
「何でも持ってって下さい」
と無人の店に、箱に入ったお菓子類や 少々の飲み物が暗い店の中に並んでいる。
「ラーメン、ただです」
の張り紙も見える。 「商売」を捨てたお店が何件かあって、 被害者同士の気持ちが伝わってくる。
自衛隊の車が行きかう中、 破壊された家がゴミの様に、 あちらこちらに集められている。



全壊された家の中に、 お雛様が何故か倒れず壇上に並んでいるのが見える。 「凄ぇや!!」以外の言葉が出ない。
「天運」「地運」「人運」「時運」
を感じながら、被害状況を暗い気持ちで見ている。
車6台が連なって港から 目的地である河南総合支所に向けて、 山間を30分程行く。 駐車場に、「日本を美しくする会」の 新上さんから御紹介を受けた、 掃除の会の松さんが待ってて下さる。



一目御挨拶させて頂いただけで、 新上さんの気持ちがそのまま伝わった方と感じれる。 内緒で行ったのに、 ファンである越田さんという初顔の方がいて、
「何かお手伝いさせて下さい」
昨日から荷を積んでくれていた川原、康夫や、 新屋達がトラックに乗り込んで、 今度は降ろす方を精一杯踏ん張ってくれて、 伊藤支所長まで加わってくれて25名で、 全ての荷を一時間で倉庫に降ろす。



関さんと黒澤君で1200名分のまぐろの刺身を、 5ヶ所分の仕分けをさぁっ、さぁっ、とこなす。
夕食まで間があるということで、 一番近い体育センターの避難場所へ。 伊藤支所長が普通なら休日なのに返上して、 案内して下さる。
一家族ごとか、グループごとか、 5〜6名の方々がダンボールで囲いを作って、 布団らしきものを敷きっぱなしで、 ただ座っている。
言葉も無く、今日の日が過ぎるのを ただ待っている方々ばかり。 生を失い、家を失い、言葉や感情すら失っている。 伊藤支所長から、「何かお言葉を」と申されたが、 この方々には声ですら、姿もなるべく見せられず、 ただ静かに見つめるだけ。
お子様方には、用意していたお小遣いの ポチ袋を配るのが精一杯。 来てしまったが、自分の存在を消したくなっている。
避難所の夕食の仕度前に、 何か食うかと車を10分ほど走らせ、 でっかい駐車場が満杯の田園地帯に立つスーパーへ。 そこには被災地と少し離れただけで、 広い店内には食品を始め商品がいっぱいあって、 都心のスーパーより品揃えがそろっている事に 少々の疑問を感じた。
「俺、おいなりさんでいいよ」
込み合うレジの外で待つ。 途中の閉店された店の駐車場に車を止めての 食事タイムだったが、食事がのどを通らない。 眠くも無ければ、食欲も無い。
14時40分、俺と恒と小鉄と理絵に歌ちゃんで、 農業改善センターという避難所へ。 心配されたのか、掃除の会の松さんもついて来て下さる。
15時45分に自衛隊のトラックが避難所に、 炊いたご飯を届けてくれる。
その後に自衛隊の幹部が乗ったジープも帯同して、 その方が遠くからヘルメットを胸に ゆっくりと俺に近づいてきて、 しっかりとした御礼をされる。 こんな時に一番つらい現場で働かれる人達に、 被災者に代わって、こちら側からも深くお礼を述べる。
「自分たちは訓練で慣れてますが、  被災者の方々は慣れぬ事で大変だと思います。」
現場に立った者の言葉一つ一つが貴重に届く。
「これからも皆さんをよろしく」
としっかりとした握手をして別れる。



任務を果たした車から、 現場の責任者が俺に向かって敬礼を。 俺も自然に敬礼を返す。
たった一回、一度の短い出逢いだったが、 「男の責務」を感じられた。
歌ちゃんには帰りの車の運転のことを考えて、 車の中で眠ってもらう。
残ったチームを見ると、 なんと木の子荘の恒・小鉄・理絵。 ちょっと、このチーム編成は 酷いんじゃないですか、シャボ隊長(笑)
石廊崎から取り寄せたあおさの味噌汁を作り出すが、 120人分以上の味噌汁を作る大鍋4つに 湯を沸かしているが、湯が上部だけ暖まったところへ 味噌を入れちまう。 寒さで少々風邪気味だった俺だったが、 見ていられずに手助けに立ち上がる。
越田さんも奥さんをわざわざ呼びに行ってくれて、 手伝いに女手が加わる。 松さんも座っていたが、動き出すと流石掃除の会の方。 動きの手際が全て行きとどいている。



避難所からも女性が手助けに来て下さり、 恒と小鉄の姿が消える(笑)
あおさの味噌汁とまぐろ丼を 120杯以上配膳したところで恒を見ると、 まだ味噌汁の大鍋をただかき回し続けていた(笑)

         雀鬼




理絵料理長のもと一時間ぐらい味噌汁作り、 やっと出来た〜と思った時には全て終わった後でした…。 そんな自分ですが、 避難所から車で10分ぐらいのスーパーで 物が溢れてるのは違和感を感じました。 被害にあった方達が無料で奉仕しているのに、何なんでしょうね。
会長、お疲れ様でした。 お荷物なんて、とんでもない。 会長がいらっしゃるだけで、皆が安心出来ます。 多分、シャボ隊長もそう思っているはずです。多分…。(恒)

■2011年4月19日(火) Vol.1611

今回は宮城だ。 津波で一番被害者が出てしまった石巻地方へ向かう。
死者8437名、 いまだ行方不明者775名。 死者の96%が 俺が大好きな海からの津波による水死。
「可愛いものには旅をさせろ」
ということで、俺が大好きな道場生が 困難と苦しみだけが迎える石巻へ21名で出発。
前日から荷作りに精を出していてくれた 川原、緒方、康夫社長、金は、 それだけでクタクタだったろう。
一週間で被災者が望む物資を 手分けして買い集めるだけでも、 己の仕事時間を削らねば出来ない。
子供達の自転車等を積んだ 大型トラックの康夫、森、川原、 その他の必要物資は シャボ、金の2トントラックに積み、 歌ちゃん、深山、佐藤の乗用車組の 手伝いチーム14名は深夜2時に町田道場を出発して、 トラック組と蓮田サービスエリアで、 まぐろの関さん、黒澤さん組を含めて全部隊が合流し、 シャボ隊長に
「願い石」
を手渡して、無事を託す。



関さん、黒澤さんにしても 1100名分以上のまぐろを切り身にした作業は、 出発前から困難を示したことだろう。
黒澤がすでに眠い目で疲れ切っていたが、 シャボを中心に、明るく元気な姿を作って、 いよいよ出発。

         雀鬼




と、ここまで会長が書かれたところで 残念ながら今日の取材者の方々がいらっしゃいました。 取材が早めに終わることを願いつつ、 続きはまた後ほど!(橋本)


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