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■2008年1月19日(土) Vol.680

高槻本戦が終了し、 今度は本部がラストスパートに突入。 選抜も準決勝を打ち合う。
今期、会長評価点も視点が高まり、 金村以外はA´評価を受けとるだけでも 困難さを選手一人一人が自覚しだしている。
必死に頑張って打ち合ってもB評価止まり。 少しでも体か心が傾けばB´以下に落ちてしまう中、 新年を迎え、何時も後ろに下がっている橋本が 珍しく卓上に乗れて前半8名中一人A評価を受ける。
そして今日後半の部が行われ 金村・多田・ヤンマー・シャボの卓が 四人呼吸を合わせて揃って卓上の流れに乗る。
終わってみれば今期初めてのオールAの 無理だ、不可能だ、という壁をこじ開けてくれた。 さすが選抜、よくぞ打ち切った試合運びを見せてくれていた。
隣の卓で打ち合う佐々木・古島・パセ・高田の卓は それぞれが私的感覚から抜け出せず、 修正も呼吸も合わず、高田以外の先輩達が
「打ててない」 「壊れている」
というB´評価となり、 二卓隣り合わせで打ってはいたが全くの別物。 金村卓がまさに選抜なら 佐々木卓はJrクラス以下の様相を見せていた。 その日その時でも違う。 メンツによっても作り出される作品が違う。
準決が終わって評価点合格は 金村・村瀬とヤンマーの三名。 これって作品だから難しいやね。
得点上は金村を頭に 佐々木・志村の審判部が決勝卓で直接ぶつかる。 金村が勝てば史上初の三連覇。 それも内容を残した文句ない勝利者が生まれる。
この日オールA卓で盛り上がったが、 試合後、それをさらに越す盛り上がりがあった。 あの伝説のチャッペがとうとう 100週連続の鬼打ち100打席を達成。 この記録も雀鬼会史上永久的に残る大記録。 打ち終わったチャッペは道場生達の声援に囲まれ、 気付くとまさに体を張って燃え尽きていた。
チャッペ、凄すぎる。 チャッペ、生き延びてくれ(笑) チャッペ、今期は今日の君で終わったよね。
この日のチャッペに君なれる? 誰もなれねってよな(笑)
チャッペの一人勝ちでした。

             雀鬼




■2008年1月17日(木) Vol.679

高槻塾へ行けた。 山田英樹のそばに行ってあげれた。 それだけで、いいんだ。
思えば、新宿歌舞伎町時代が20年あって そこから離れたくなっていた頃に山田と出逢った。
新宿のネオンに染まっていた俺と、 右も左も分からない田舎もんの坊やとの出逢い。
年令も生きた道も環境すら異なっていたのに、 体と体の一部分が互いに気に入ったのか、 10年余り坊やは何時も俺といっしょだった。
坊やにとって俺は青春時代の親父。 10年至った頃、「坊や、本当の親御さんのところへ帰れ」と、 がけから突き落とす。
坊やは谷底で2年くらい泣いていた。 そんな坊やを振り向きもせず、俺は坊やに背中を見せていた。
全ての力を失ってしまった坊やがある日、遠くから俺を見ていた。 気付いたが、声も掛けない。 淋しそうに外に突っ立っていた坊やの姿が消える。
「いいんだ、それで。」
と思う他なかった。 そんな坊やが高槻塾を開いて10年至った。 出逢った頃よりさらなる絆が強まる。
数ではない、人数でもない。 雀鬼流を始めて20年。 たった一人でもいい、 男と男の絆のラインが一本作れればそれでいい。

あの日、16期目の高槻塾Jr.の決勝があった。 山田をしたう16名の選手の顔がある。
金村や多田達が少しでもいい試合を作らせてやろうと、 必死だったが彼等の気持は、 麻雀、卓、一打一打にのらない、入らない。 全員打てませんで終わる。
あくる日、 俺は麻雀を少しも打てなかった彼等と再び触れ合う。 昨日の心と体がうそのように、彼等の体と心が動いている。
「ニヤリとした。」
彼等は麻雀の決勝よりも別の型で喜びを準備していた。 本部から遠く離れた大阪の地に彼等が作る雀鬼流を見てとる。
「坊やよかったな。」
宮本、仁尾、奥井等、あんな可愛い奴等にしたわれる、 坊やの嬉しさは俺も同様。
坊やいくつになった。 俺が雀鬼会を始めた頃の歳になったのか。

             雀鬼




■2008年1月14日(月) Vol.678

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【選手紹介:その12】
【山田英樹:マネージャー】
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牌の音歴、オープン4ヶ月前の準備期間より
金村総括部長よりご指名頂きました山田です。 大阪府高槻市で雀鬼流麻雀道場高槻塾を やらせて頂いております。
単身大阪にやってきて高槻塾を始めて、 先月12月で早10年となりました。 雀鬼流を通じてこちらでも 沢山の仲間達と触れあうことが出来ました。
会長と初めて出会ったのは23年前、 自分がまだ町田市にある大学に通っている頃でした。 ある時から、会長と食事を御一緒させて頂いたり、 運転手をさせて頂いたり、 将棋の御相手をさせて頂いたりと可愛がって頂きました。
今日に至るまでの23年間、とても書ききれぬ程、 色々な想いも出来事もありますが、 一言で言えば会長に惚れました。
オープン当時の牌の音は今と比べると様々な人種が入り乱れ、 老若男女、あちら方面の人からオカマから麻雀プロまで 何でもあり状態、最近になって道場に通い始めた人には 想像もつかないと思います。
道場であるという感覚を持った人間は少なかった様に思います。 それでも根っこの部分では今と変わらず雀鬼流ですから厳しさも、 楽しみも、喜こびも、感動も他所では決して 味わえぬ事が数え切れぬ程ありました。
30才を過ぎた頃、私は会長の元を離れ、 実家の九州へ帰る事となり、翌年、 大阪に事業の新規開拓で、丸1年以上麻雀牌を見る事も無く、 離れていた自分でしたが、ある日、ノーレート&0.5という 看板を見つけ、入ってみようという気持ちになりました。
中に入ると自分が思っていた通りの雰囲気で、 ギャンブルとしてでは無く、麻雀を楽しみたい、 強くなりたいという若い人達が集う雀荘でした。
店に入るや否や「山田さんですよね」と声をかけられ、 それから時折その店に行っては牌の音に居た頃の様に そこに居る皆なと触れあっていました。
一度は離れそうになったけれど、 やはり自分の道はこの道なんだと思い、 大阪で麻雀道場を始めようと決めました。
親不孝者の自分がせめてもの出来る事は、 会長から教えて頂いた事、会長の背中から学んだ事を 求めている人達に伝えていく事だと思い、 会長のお許しを頂く為に東京へ。
「麻雀道場高槻塾を始めたいと思っています」
と告げると
「それじゃ駄目だ。雀鬼流麻雀道場にしなさい」
と思いも寄らぬ有難い一言を頂き、そして今日に至る、です。
雀鬼流とは、自分にとって道であり、生き甲斐、 そして何より切っても切れぬもの、縁だと思っています。 親子の縁、夫婦の縁(最近はすぐに別れる人達が多いですけど)。
この20年間、長いようであっという間だったような気もします。 毎日やる事や楽しい事、楽しい仲間達に囲まれているからでしょうね。
最後に一言、雀鬼流は見るよりも、聞くよりも、 現場で共に行動してこそ、楽しいもんです。 いつもホームページを見てくれている人達、 道場へ足を運んでみて下さい。 温泉みたいな所ですから、温まりますよ。 では次は村瀬道場長、宜しく。



恒例の昔の写真・・・ 左はオープン当時の牌の音内でのお写真です(^_^;)
という訳でただ今、高槻塾決勝戦&10周年記念パーティーから 帰ってきました。予想以上に手作りの良いパーティーでした。 みなさんお疲れ様でした(花岡)

■2008年1月11日(金) Vol.677

しゃべるのですら辛かった。 書くことも出来なかった。
道場には大好きな道場生等が必死の追い込みをして 頑張ってくれている。 それなのに彼等のそば等にも居られなかった。
明日は大阪高槻塾に行く予定が入ってたんだけど、 正直昨日までは行けるのかどうかすら分からなかった。
高槻塾は俺の20年間でもっとも大切な仲間である、 山田英樹が雀鬼流の塾を開いてあさって10周年を祝う パーティーがある。 何を置いても駆けつけて祝ってやりたいのは当然なことなんだが、 行けるのかどうか分からん自分がいたことは真実なんです。
そんな折り、 昨年嫌々ながら行ったNPO法人読書普及協会主催の、 講演会のDVDが届いたことで何となく見る。 そこには、まだまだ元気で陽気な俺らしき男が来客相手に、 楽しそうに遊んでいる姿が映像に流れる。
あっ、俺ってフリチンだ。
気分も良く俺の素が映し出されている。 「素直」でありのままの自分がそこにいる。
これも変かもしれないが、このDVD俺が俺に 気分を良くしてもらい救われている自分がいた。 そのおかげ、それが良薬になったのか、 今日は今年始めて気持に晴れ間がちらっとのぞく。
嫌々行った講演会だったが読書普及協会の 吉本さんを始めスタッフの方々来場して下さった方々に、 本心からお礼を述べている俺がいる。
皆さんに少しでもお力になればという講演者の俺が、 逆に励まされ救われているのだからおかしいよな(笑)
俺、今年は「逆風」「逆転」の流れがあると 感じていたんだけど、その流れがいいにつけ、 悪しにつけ起きているんだよな。
子供が出来なくて悲しみ泣いて暮らしていた志村、 きっと元気な赤ちゃんに恵まれるぞ。

             雀鬼




■2008年1月8日(火) Vol.676

今日は八日ですか。 凄く変なんです。 やっぱりおかしいんです。
今年になって外へ出られたのがたった二日だけ。 一日は昨年から決まっていたことと私用で ちょいとだけ出掛け、道場にも寄らずにタクシーで直帰。 8日間で道場に居たのは2時間ぐらいだけ。 新年早々で申し訳ないんですが現実です。
メールで
「弱ったふりをしている子羊 さま」
とあったが、 今までの生き様に対しての自業自得か、 とうとうやきが回ったのか、 致し方ねぇことですが、それにしても弱った弱った。
「一年を三日で暮らすいい女」
ていうことで、昨年の暮れに 三日ほど家事を働いてくれた女房殿のおかげで 元旦には我が家で40名余りの道場生等と 夕方から深夜までワイワイガヤガヤと 楽しい新年会が迎えられた。
「江戸っ子だってねぇ、寿司食いねぇ」
から始まって タラバガニ、各種のエビ、タイの焼きもの、 ふぐ鍋、松坂牛のシャブシャブと、 まだまだ皆して色々な料理を味わった。
「12時過ぎたらここ俺ん家だから」
と、酒に酔った志村さんが俺の席もぶん取る。 残っている道場生等と ケーキとコーヒーを味わっているそばで、 自分の家だからと モモヒキ姿でいびきをかいて寝てしまう。
「覚えてねぇよ、俺寝ちまった」
とお目覚め。
「何か食べますか」
ていうことで、再び一人で料理を食い出し、 我が夫婦と志村御夫妻だけで朝6時まで話し込む。 気付けば12時間ぶっ通しで 新年会をやっていたっていうこと。
そんなこんなで我が家の新年会は三日まで続く。 普通、一般的には暮れから正月にかけて ゆっくりしたり、休むのが習しだよな。 ところが雀鬼会じゃ 暮れから正月まで連続して繋がっている。
道場生等とこういう日々を送れたことは 凄ぇ嬉しいことなんだが、 こんな突っ走りを20年もやってくると ガタも来るもんなんです(笑)
何だか分からんがおかしくなっちまったり、 変になって当然ですよね。 今年は尚一層のご迷惑や 心配を掛けてしまうことが起きそうです。
あれれっ、左手の親指が くじいたのか、折れたのか、腫れている。
どうしたんでしょうね、まったく。

             雀鬼




■2008年1月7日(月) Vol.675

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【選手紹介:その11】
【選抜:金村尚紀】
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HPをご覧の皆様へ…
新年一発目の選手紹介は、 選抜の渡辺シャボ君から指名を受けました金村です。
12年前、初めて道場の門を叩いた時の事を今でも覚えています。 雑誌か小説で会長や雀鬼会の存在を知ったのは 確か十代の頃だったと思います。 数年後道場に来てみると、道場というよりは雀荘という感じでした。
腕に自信がある者やちょっと強面の人が多かったように思います。 今はそんな事はありませんが、以前はそういったタイプの人たちが 結構多く会長の元へ集まってきて、 雀鬼会の選手を目指していたんです。 自分もそんな感じかもしれませんけど…(笑い)
多田審判部長からは、 「お前みたいなトッポイ奴は最近ホント来なくなったよな」 とよく言われていました。
【選抜:金村尚紀】JrII:1期  Jr:1期 選抜:19期
雀鬼会に入って感じた事は、私生活や麻雀で心と 体のバランスをとる事がとても重要だという事に気付かされました。
いつの間にか心が弱ってしまった方や大きくバランスを 崩してしまっている人も中にはいます。 でも会長が引き合わせたくれた仲間です。 これも縁でしょう。
我々は麻雀だけ強くなるを目的としているワケではありません。 その瞬間瞬間で活躍出来る仲間たちと、 楽しい時間を共有し喜びを分かち合い何かを 作り出すのを目標にしています。
うざったい言い方かもしれませんが、 世間では仲間と呼べる人が少なくなっている気がします。
人と人との関係というものが少し冷めてきて しまっているのでしょうか… 他人を利用したり自分の利益になるから 付き合っているのもあると思います。 でも道場生たちは自分たちのとった行動に、 ‘権利を求めず’ ‘人様にも期待をしない’ ので、便利と利用のような人間関係にはならないのです。 麻雀を打ったり馬鹿をやったりと、 その場その時を感じるままに行動しています。
感性で生きるという事です。 麻雀も感性が大事です。
例えば一本道しかないところで迷い・悩んでいる人を見ると 自分は不思議な感じがします。
感覚的に捉えていけば 上手くいく事の方が遥かに多いと思うからです… そうは言っても、自分も甘くなったり弱くなったりすると 考えが優先してしまいがちです。
その時は会長ならどうするのだろう? と極力早めに修正を意識します。 道場内でも試合の審判をしていても、目や頭だけ働かそうとせず、 耳や肌で感じ取らなければ、と気付くのです。 すぐに人間は間違った方向や偏ってしまうからです。
会長・雀鬼流から学ばせていただいた、 強さ温かさなどをもっと勉強したいです。 そして教えてもらった事を皆さんに 伝えていけたらと思っています。
自分は雀鬼会に囚われているわけでもなければ、 麻雀オタクでもありません。 ただ、強い父親的存在の会長に、 一歩だけでも近づきたいと思っているのです。



現在の雀鬼会は、会長が父親で道場生が 子ども達のような感じかもしれません。 会長が父親なのは皆さんおわかりになるとは思いますが、 誰が次男で誰が三男なんでしょうかね〜
でも、長男の方はご存知だと思います。 今年は「動く年」という事で、 次回の選手紹介は‘桜井章一一家’長兄である 山田英樹マネージャーに動いていただきたいと思います。

■2008年1月4日(金) Vol.674

眠たいよー。 今日は四日か、とにかく、あけましておめでとう。
大晦日、大集合をかけて
「やれんのか」
のリングに行く。 選抜最強陣はヒョードル一人だけ。 彼の試合を再び見れたことで御の字でした。
雀鬼会のオリジナルブルゾンを着て 歩いている時はそうでもないんだが、 俺好みのスーツとかコートを羽織って外に出ると ファンに声を掛けられることが多い。 この日も多くのファンに見つかっちゃった(笑)
会場の関係者席の喫煙場で タバコを一服していた時だと思うが、 兵庫県からわざわざ「やれんのか」 を観戦しに来ていた方にサインをした。
その方は福本さんというらしい。 プライドが消滅する時、
「俺は桜井章一さんに会いたい!!  近くで一緒に観戦したかった!」
と、かなり落ち込んでいたという。 その福本さんがこの度も御夫婦で 無理してVIPの席を買って下さっていたらしい。
奥方の郁恵さんからお礼のメールを頂き、 その時は何となくサインしただけだったが、 福本さんの気持が凄ぇ嬉しかったです。
福本さん、住所か電話を教えてよ。 雀鬼会Tシャツ送ります。
「やれんのか」が終わり、 ヒョードルに逢いたかったけど、 次に初詣が控えていたので 我ら集団はそのまま神宮へ。
別にそこに神様はいないと思うが(笑) 日本人の習わしをすることで 日本人であることを確認出来る。
うけ月に照らされた古木を眺める。 休憩所で甘酒や温かいものを腹に入れる。 外のテーブルの上もイスも凍りついていた。
今から、中邑真輔が来いというので 東京ドームへ行って来ます。 眠いのにな。
皆さん今年もよろしく

             雀鬼




福本さんのメールはボイスVol.545にアップさせて戴きました。

■2007年12月31日(月) Vol.673

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【選手紹介:その11’】
【一般:桜井章一】
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道場歴20年の最古参。 雀鬼会選手歴は第一回出場。 裏技をちこっと使って優勝したが、それ以来出場停止。
今や月一回程度しか打たず、 道場に現われちゃ悪戯をしたり、 道場生をつかまえちゃ痛い思いをさせていじめている。 この悪癖は物心がついた時から 60数年連続しているので今さら治ることはない。
こう述べると悪いことばかりやって来たようだが、 まさにその通り
「我れ悪党」
を貫き通している。
楽しいことはいっぱいあったけど、 思い返せば善行は一つもやってこなかった。 今だ悪ガキだった俺の老いたる姿がダブるだけ。
それでもねぇ、そんな悪タレでも20年間ふれあって 遊んでくれた道場生には凄ぇ感謝しています。

さてさて、前回のシャボさんねぇ こんなこと言っちゃ何だけど、 シャボさんが息子だったら俺どんなに・・・・・。 レバタラはいけません。 本心、俺の一人娘のダンナになってくれたら・・・・・。 レバタラはいけません(笑)
さてさて、今年も終わりそう。 なんかさぁ、俺、充実してねぇんだよな。 こんな気持って初めてなこと。 多分、俺、何かに耐え切れなくってさぁ、 誤魔化したり、気が抜けた日々が多かったせいだと思うんだ。
例年なら動き回って終われたのに、動けなかったり、 やりたかねぇなんていう気持がいくつかあったんだろうなー。 今までずーとそういう実感がなかったんだけど、 今年はそういうダメな部分が多かったよなー。
家でもインフルエンザにかかった者が四人になっちゃって、 予防接種をしなかった俺と女房だけが今だかかっちゃいない。 後二日はかかるわけにゃいかねぇもんな。
そういえば、俺って高校まで学校休んだことなかったし、 大人になっても高熱が出たなんていうこたぁなかったよなー。

             雀鬼




っと、びっくりした!相変わらず意表をつかれました(^_^;) 左は、ん十年前の会長でございます(花岡)

■2007年12月30日(日) Vol.672

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【選手紹介:その10】
【選抜:シャボ】
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[相談役] 1)相談するために設けた役。 2)会社で重大な事項または紛議などが起こった場合に、  適当な助言または調停などをする者。法定機関ではない。              「岩波書店 広辞苑」より
と言う事で、自分には相談役の「そ」の字もありません。 でもなぜか道場では相談役と呼ばれる時があります。 道場では何の脈略も無く球は突然投げられるのです。
その投げられた球をしっかりキャッチして いかに上手に相手に投げ返せるか。
これも雀鬼流の難しいところであり楽しいところでもあります。
でもこうやってキャッチボールをする事で 臨機応変、適材適所、柔軟性など大切な事を 日々学ばせて頂いています。
雀鬼会歴は、番外4期、Jr.9期、選抜2期目で 道場歴は9年目になります。
自分は麻雀のルールだけでなく、会長や牌の音、 雀鬼流の事もほとんど知らずに道場に来ました。
そして気が付けば8年が過ぎ、未だに麻雀は苦手ですが、 8年やってこれたのは会長を初め雀鬼流を志す仲間達が、 明るく、楽しく、温かいからです。(それと夏の別荘!)
もちろん雀鬼流ですから厳しさもハンパじゃありません。
今は、茨城から通わさせて頂いていますが、 自分ではそんなに大変だとは感じていません。
それは牧野さんや金子さん、ちょっと前の繁さん(現在は 道場に最も近い男)達先輩方が遠方からでも通い続けるという 道を作り、そういう背中を見せてくださっているからです。
自分達は、会長が作ってこられた雀鬼流という道を歩いています。 一人では厳しい事、きつい事もありますがいつも強く カッコ良い背中を見せてくださる方々と沢山の仲間が いてくれるからこそ歩く事のできる道だと思います。 (会長はお一人で歩いてこられた道ですが…。 だから雀鬼なんですね。)なんだか何が言いたいのか まとまらなくなって来ました。
そもそも知恵遅れな自分が文章を書く事自体が間違っている 事に今、気が付きました。 という事で自分が言いたい事は総て繁さんが 書いてくださっているので、Vol.639をもう一度読んでください。 投げっ放しですみません。 そして繁さんありがとうございます。



今年の始めに会長より「今年は耐える年」とのお言葉があり 確かに耐える事の多い一年だったように思います。 そんな2007年ももうすぐ終わり新たな年になります。
来年はどんな年になるのか。 3月には牌の音の20歳の誕生日です。 干支も一周してネズミ年です。 何か新しい事の始まりの年になるのでしょうか。
そんな年男のこの方に、 新年一発目の選手紹介をお願いしたいと思います。
よろしくお願いします金村総括部長!

 

■2007年12月27日(木)その2 Vol.671

町田の雀鬼会ノートにJrの高野が、
「体を使って遊ぶ・体を使って楽しむ。  体と体をぶつけ合うことによって心もぶつけ合える。  皆んなが子供のように楽しめました。  一番簡単なことであるが、  日本人が忘れてしまったことだと思います。」
とある。
こいつ、結構馬鹿なんだけど、良いことに気付けたな。 こういうことを体認から受け止めた感性なんだよな。 体を使い、体を張ることで 実感や納得感が身に感じるんだよな。 いくら本を読んだり、多くの情報を得ても、 知の幅は拡がるのだろうが、 体認とか感性を甦らすのとは異なる。
俺の子供だった時代は、起きれば体を使う楽しみ。 体を張って冒険したり、 肝や勇気を一つずつ作り上げたもんです。
勇気なんていうものは、 決して心を強く保つことで作れるもんじゃない。 体を張って、痛みや辛さや恐怖と「遊んでもらって」(笑) その後に心ん中に残るのが勇気なんです。 今日びの大人たちは子供の頃からそういう体認を してこないまんま大人になっちゃってる。
我々麻雀道場なんだから、戦略とかテクニックとか 頭脳ゲーマーにでもなったらいいと思ってんでしょうが、 そうじゃねえんだ。 暇を見つけちゃ体と体をぶつけて、 自分や他の人の心の有り方を確かめている。 そういうことが道場で体認できりゃOKなんです。 心や気持ちなんていくらでも誤魔化し出来るし、 嘘も多いことは皆さんも一番御存知ですよね(笑)
体を張れる大人の男達がいれば、 どの業界もちったぁましになるんじゃないの。 骨の一本二本折れたって・・・・。
そういう俺の左足と右手は 骨が折れたまんまだったっけな(笑)

             雀鬼





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