■2008/09/17(水)
 Vol.884
「みかんの花が咲いている 思い出の道 丘の道はるかに見える 青い海 お船がとおく 霞んでる」
週刊誌に載っていた文章の中に、 この歌を見つけてそこだけを何故か切り取ってバックへ、
週末の旅の湯の宿の中でも口ずさむ。 歌なんて一年にほとんど歌わない、聴かない俺なんだが、 何か俺の心に引っかかる。
チャッペや小鉄達がいる道場で、 麻雀も仕事もストップして皆して、 知らない、忘れた歌を唄い出す。 道場に集う子等と皆んなで、 一時間以上も同じ歌を一人ずつ歌ったり、 皆んなで合唱したり童謡を唄う。
「雀鬼」「童謡」 これがまたすごく似合っている(笑)
昭和21年に加藤省吾が30分ほどで作ったという、 俺が我が家の孫と同じ年の頃に、 多分ラジオで流れていたんだろうな。
町田道場では今、 「みかんの花咲く丘」を歌えないもんは雀鬼流じゃねぇ。 なんて、童謡一曲で盛り上がっちゃった。
今日、駅の階段で少年から声を掛けられる。
「元気で頑張ってんか、、、、」 「ハイ、、、、」
その少年は昨年、若い働き盛りの父親を亡くした。 中学生だった少年も、 高校の通学の帰り、少し背が伸びていた。
少年は駅のホームまでついて来てくれる。 つらくって、悲しい少年の気持ちがわかる分、 会話が少ない。
売店の前、
「何か買いな」 「では飲みものを」
と同じものを二本買う。
俺はその場で飲んじまったが、 彼は一本の飲みものを手にしっかり握っている。
ポッケに手をつっこんで万札を一枚抜く。
「ありがとうございます。」 「もう帰れよ、、、、」 「いえ電車を見送ります、、、」
つらくって、悲しくって会話が進まない。
「そういえば弟の分もな」
と、もう一枚手渡す。
「みかんの花咲く丘」が出た頃、 日本は終戦直後、 食べものも何も無い時代だったが、 俺には両親も兄妹もいた。
今、思い出しても、 食べもの一つで不自由していたのに、 つらさも悲しみも残っていない。
豊かな時代に生まれた少年だが、
「淋しいです、、、、」
の言葉に送られて、 俺は電車に逃れるように乗ってた。
雀鬼

[写真:884]
「みかんの花咲く丘」情景が見えるような歌詞と、素朴なメロディーが良い歌です。 道場ではみんなで歌っているんですが、 簡単そうに思えて意外と難しい歌ですよ(ジーコ)

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