■2008/08/19(火)
≪ Vol.854
夜汽車に乗って、たった一人で伊豆の別荘へ着く。
別荘番の花岡と、チャッペと何故かジーコさんが、四年ぶりに来ている。弟子の引き籠もり気味だった元郎もついて来て初めて海に潜ったらしい。
遅目の食事を、その日とれた海の幸で、町田の佐藤くんが寿司に、握ってくれていた。ウツボが穴子のように握られている。
別荘は別に合宿暮らしでも、修行の場でもないんだが、一人一人がやれることをやったり、誰か動ける人が動くと、動くことが苦手な者も段々と関心を持って動くようになる。
海ん中の動き。別荘内での動き。動ける者達が楽しめる。
遅い夕食を食ったら、総合格闘技マニアのジーコさんが、19才のサッカー選手の元郎と、畳の上で勝負。
ジーコはさすが技を知っていてるが、元郎は若い元気な身体を力一杯動かすだけ。久し技と力の動きを見ている。
雀鬼流だから道場での牌さばき、卓上の一打に、美を追究するのが基本だが、海というリスクを伴う大自然の中で動けるようになることも20年にわたって俺から皆んなに、伝えられて来た。
これだけでもダメ。もう一つ男なら身体と身体をぶつかり合って体構えを学ぶことも雀鬼流である。
動物である以上、動けることが大切である。少林寺拳法を習っている将太も、習った動きですぐに畳の上に立つ。右足から腰にかけてしびれ痛む俺は、久し畳の外から彼等の動きを見守っている。
ジーコは総合格闘技。将太は少林寺。どちらもそれなりに技であることは分かる。又、よせばいいのに、畳の上に行ってしまう。
「そん時はこうよ。」「何でそう動く、ほれこうするんだ。」
力も技も入り込まない。少しの動きで彼等は簡単に動けなくなったり、何もやらないのに、倒れたりしてしまう。
前回の別荘でも海では、魚も突くことなく、見えない魚を発見したり、魚の動きをまねして泳いだ。
「ただそれだけ」
別荘の畳の上では、毎日毎日体さばきをやって皆んなで動き回った。柔道部出身の山田英樹も、ヤンマーのでっかくてごつい身体が宙に舞ったり、ちょっとふれただけで、ぶっ飛んでいたっけ(笑)
[写真:854]
ところで、先日のお手紙をもらった三年も一歩も家から出られなかった青年に、あれから気になってもう一度電話を入れてみた。
「どうした、コンビニ行けた?」「いやダメでした。」「行こうと思ったかい。」「それすら思いませんでした。」
根が深い心の闇。
「いいんだよ、君は正直さがまだ残っている後はちょっとした勇気だね。もう電話は出来ないけどもし、外へ一歩出れらたら、手紙で送ってね。」
昨日、心の痛みと闘っていたその母息子から
「コンビニに行けました。」
と手紙が届く。
「よかった、よかった。」
雀鬼
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