■2008/07/26(土)
 Vol.836
道場生等もそこに俺がいることで、良かれ悪かれの素を出来る限り出し、ひど過ぎればストップがかけられたり、何故にダメなのかなんて説明されたりして修正をかけられることで完全に治ることはないが少しずつ治まっている。
人それぞれ捨てようがない遺伝子をえて生まれる。そして、それぞれの周りで型作られた環境の中で生活して染まる。
染められた色がその人の人間形成の色合いとして見てとれるから環境が変わると、その人の持つ色合いも変わってしまう。
シンガポールの元首相が述べた話にも、戦争中シンガポールを占領していた日本国の占領民達は信じられないほどの残酷の処置や行動を現地の方達の中で行っていたらしい。
それが敗戦となり、英国人の捕虜の立場になるとコロッと変わって良心的な善人となって一生懸命に働き、シンガポールの街をきれいに清掃していたという。
環境の変化、状態の変化、置かれた立場でこうも一気に逆転してしまうことが人間の持つ性であろう。
この逆で善良であるものが残酷の人間に変化することもある。
人とは環境によって変わることは確かであろう。善良も残酷もどちらも持ち合わせているのが人間であるのかもしれない。
戦争という凄まじいほどの環境でなくとも、さざ波の中でも人間達は揺れ動いている。
「普通」「常識」といった家庭教育、社会の環境の中の立場の揺れの中で人々は大きな乱れや変化を見せている。
勝負の中でよい調子が一気にくずれ最悪な状況になったり又その逆も起きる。 その原因も勝負そのものにあるのでなく、勝負する人間が自ら引き起こす要因なのです。
道場という環境の中で少し治まっていた者がそこを離れて別の環境にどっぷり変化すると、雀鬼流で学んだことなんてすっ飛んで別の人間が現れて、多様なことが起きる。
外へ出て、資格を取り人を導く教育の場に立った者が、弱い立場の子にカッとして手を出してけがをさせる馬鹿ったれもいるらしい。
人を導き、育てる教育とは非常なる高度な感性がいる。
それがとち狂っている馬鹿もんが指導者の立場になることがすでに問題である。
その教師とやら一度ぶっ飛ばしてやろうと思っております。
雀鬼

[写真:836]

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