■2007/08/21(火)
 Vol.552
道場生等の仲間達と、一宿一食の日々を送っている。古島とハトが大根をおろしている。アジのひらき、シラスおろし、納豆、わさび海苔に、わさび味噌。自然から頂いたアワビとサザエも並んでいる。伊勢エビのみそ汁まで・・・
朝食も豪華である。品揃えも満足だが、なにより、この生活圏の近場で捕れたものばかりで食せる。
今日びの日本は飽食の時代。俺の子供時代は、栄養失調、飢餓への危機感すらあった。未だ世界の後進国(?)では、日常の生活に飢餓状態がある。
飽食の時代なら文句はないはずなのに、摂食障害という身体と心の病がある。
過激的なダイエット、無限の食欲。人間の生命の連続性を保ち続けなければならないために食がある。食も健康も我がため、他の人のためにも必要であろう。
だからといって、食や健康問題に今日びの人は、必要、大切、感謝を忘れたり過剰反応を越して、
「ふり回されている。」
夫婦、親子の関係もふり回されたり、目がくらんで、頭がふらふらして、立ってもいられず、方向性すら狂いぶっ倒れてしまう。
社会の流行や仕事やテレビや情報にも、人はふり回されやすいもの。良いことにも悪いことにもふり回されている。
人が怪しげな自由を求めたり、よそおったり、主張するのも、何かにふり回されたくないことからの自由という存在を対面に作り出しているのだが、その自由という姿にも、ふり回された姿が写し出される。
影響力や指導力を備えた者もいるが、その周りにふり回す存在が多く含まれているから、男女の愛や親子の愛ですら、愛の確かさであったはずが、愛の型をして、ふり回しであることの方が多い。
ふり回すという思考や行動が病い人を複雑化させ、多様化し増大する。
俺自身も今、周りからふり回されていることと伴に、俺も周りをふり回していることを思い出している。
時折、俺をたずねてやって来る、心の深い病いの人達は、誰かや何かにふり回され過ぎたか、今でもそれからふり回される方向を好き好んで進んでいる人達が多い。
困ったもんですね。
雀鬼

一日、海で波や潮にふり回されている自分は、別荘期間中ずっと朝も夜寝ている時も、ゆらゆらふり回されている感じで一日中います(笑)
何かにふり回されないこと、つかまらないこと、考えすぎないこと、頼らないこと。難しいけど本当の自由を見つけたいと思います。
花岡
[写真:552]
別荘は、毎日とても暑い日が続いています。

 [Home]