■2006/09/23(土)
≪ Vol.254
Vol.249の写真のところで、
「愛犬・クーちゃんと」
と書かれていたが、俺は決して、愛犬家じゃありません。我輩は、愛人家です(笑)我が家には、今は一匹だが、多い時は犬を三匹飼っていた。どの犬も俺が好んで飼った犬ではなく、ある日、突然、家内の者が連れて来た。我輩は子供の頃から動物は嫌いでないが、犬とか猫とかにはさほど興味が乗らないし、一線を置いて今に至る。
俺が帰宅すれば、女房殿からお疲れ様の声が無くとも、大半は玄関に365日迎えに出てくれたし、別に可愛がりも面倒も見ない割には、大半は、家中俺の後をくっついて来ていた。が、どこかに、お前達犬だろう、何で家ん中に上がり込んで生活してんのよ、という気持ちがある。
「我輩は愛犬家ではない」
「我輩は愛人家である」
今日び、異常なほどのペットブームとかで、江戸の元禄時代と重なる「生類憐みの令」のお犬様。お犬様に無礼を働いたものは刑に処すてか。権力者が私的に作っちまった悪令である。今のブームは法云々はないが、流行の情報に乗っている。
太平であった元禄時代。今の社会は決して太平でも平和という時代でもないのに、ペットブームにあやかって、お犬様扱いをして暮らしている人がいるらしい。確かに、見せかけの豊かさがあって、その中から生れる不安や淋しさや依存の拡大を、ペットに求めているのかも知れない。
世界には物を乞って生きている人々がいる。雑飯を売る人もいれば、それを買う人もいる。何日も食すら食えない人もいる。努力して頑張って手に入れた金があって、余裕があるからいいんです。その日、食えないなんて、学問を学ばないし、仕事もしないから仕方ないんじゃないの。
そうかなー。貧しき者は、豊かな人々が作ってんじゃねぇのかな。俺達が豊かさをぶん取っちゃったからじゃないのかなー。貧しさの中の病理もあろうが、今や日本には、豊かさの中の病理がはびこって、そんなんで愛情深いとか、新しい人間の型、豊かさの比べっこしてんのかなー。
犬を愛する以前に人を愛したらどうなのよ。愛人感覚、愛人を持てって。愛人を間違えて変なことになんなよ(笑)
雀鬼
[写真:254]
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