■2006/09/18(月)
≪ Vol.249
身近な方が亡くなった。
死とは究極の孤独であり、自立であると思う。俺はまだ生きているが、生かされていることを感じてしまう。
道場に来れば、そこに一つ一つの生命の存在があり、結びつきと絆を持っている。一人一人が俺にとっての生命体であり、細胞の一つでもある。
過去は過去の結びつきで生きていた。今は今ある他の道場生等の、一個一個の生命体の存在と結びつきで、生きられている。そう思うと他人である君、君等一人一人が俺の生命体である。
生命を保つために、毎日毎日の食事を味わう。うまく食えたり、まずく感じることもある。人との結びつきもふれあいも、うまくいったり、まずかったかなーと思うこともある。毎日食を味わえることは幸せである。体調を崩して食欲を失ったり、病気によっては食を選択しなければならないこともあるし、全く食を味わえない体力の人々もいる。
当たり前のように食を食い、当たり前のように他人とのふれあう日々あるが、食える喜び、人の結びつきがある感謝を、今、さらに強く思っている。
良い味を出す人もいる、苦い味を出す人もいる、ショッパイ味しか出せない人もいるが、その個々全てが今は味わいとなって残る。彼等とのふれあいがある以上、俺の生命は維持される。
そしていつか、食が受けつけない、食を失う日々がやって来る。何人にもその道は、宿命となってやって来る。
道場にやって来て3人にしか会えないと、3人の喜びしかない。10人いれば10人の喜びがある。たらふく食えなくともいいが、それなりの人々とのふれあいを保っていたい。
食えることのありがたさ。動けることのありがたさ。選べることの大切さ。人とのふれあいを作ってもらえるありがたさ。
若き生命を身近で感じとれる今を、もう一度、大切にしよう。でなければ、淋しがり屋の俺は、孤独になってしまう。
それはまだ早い、もう少し待って欲しい。
俺も頑張るからさぁー(笑)食も大切。君等も大切なんだ。
安田ぁ〜!!俺、感傷的かな。黄昏気味かい?俺にだってロマンティスな部分があるんだよ。他の弱さを知って、己をしっかり歩みたいと思っているだけかもな。
雀鬼
[写真:249]
愛犬・クーちゃんと。
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