■2006/05/18(木)
 Vol.130
JCの昼食会が伸びてねぇー。伸びたそばは食えねぇけど(笑)
急ぐ道中で、俺の心の意思で決断して、やくざ者の御家族との瞬間のふれあい、時間はさらに遅れて行く。
「会長、次の宿に着くと夜です」
次の宿といっても、俺にはその宿がどこにあって、何て言う宿かすら、教えられていなかった。よその地に行って、夜遊びも酒も飲まずに、早目に寝ちまった良い子の俺なのに、それも講演する立場にある俺であったが、昼間から、現役のやくざ者とふれあう。JCと逢った時が表の顔で、やくざ者と逢ったのが裏の顔という分けではない。もしそれが市会議員とか学校の先生とかお医者さんだったら、俺はあそこで確実に、ストップすることはなかった。
2時間を越えた頃、車は盛岡の街へ入る。
「このまま俺、帰るわ」
松原は止ってくれずに、再び山道へ入る。八幡平を越え、岩手富士が雪明を見せる。
「あの山のそばまで行きます」
山の麓にやっとこ辿りつくと、道路が封鎖され、鉄門がガシッと降りていた。困ったとは少しも思えず、何か楽しくなっている俺がいる。何にも考えずに、ニヤニヤしている俺。
松原が車から降りる。夕方5時から早朝8時まで、道路通行止めと書かれているという。いいんじゃない、おもしろいじゃない。戻る、帰れる、それでも結構。
道路管理者の車が来た。なだれ、落石、凍結等のため、通れないそうである。松原が2日目にし、仕事をする(笑)。宿へ連絡をしての交渉成立。
雪壁の山を登って行く。道端には「バッケ」という山菜が土から顔を出し、深く重たい雪壁の中から、木々が必死で息をするように、顔を出している。雪深い国では、木々ですら必死で生きている。雪の重さに耐えきれずに、倒れてしまっている木々も多い。雪は白くなく、茶色の断層を見せている。
「松原、雪が汚ねぇなー」
見晴らしが良いところで、遠くの山あいや谷底をうかがう。思ったより木々が少なく、そこ等の岩肌や地が黄色く見える。
「半分が死んでいる」
岩手の山です、自然が少しずつ壊れて行く。自然も人間も壊れて行く。
岩手から秋田県に入った。目的の「ふけの湯」まで数百mのところで、秋田側の道路通行止め、宿の人が車でかけつけて下さって、やっとこさの宿へ。そのまま食事。岩魚や山菜を味わう。食事の量が増す。そのまんま一風呂。部屋は山荘で狭くて小さい。トイレも洗面所も寒い。暗い廊下の先、
「オイ、俺ここで布団をくっつけてお前と寝るのかい」
「ハイ、こういう宿こそ、会長のお好みと思いまして」
と松原は一人底なし沼の酒を飲んでいる。
遅いめしを食って、一風呂浴びたら9時。こうなったら、一人の世界に入り込むためには寝る他ない(笑)昨日も早寝、この日も夜九時に、眠ってしまった。隙間風が吹き込む部屋であったが、しっかりと眠れた。夕晩は五時間もかけてやって来て、10分だけの一風呂で帰ると思っていたが、この日は昨日と違って待遇が良く、早目の朝食まで頂け、
「松原、外の露天風呂へ行くぞ」
と、その声と同じくらい外は元気で明るくって、自然が俺を瞬間に包み込んでくれる。
200mぐらい山道を下ると、いくつかの露天風呂があった。当然他の客はいなかったが、湯番というか湯守人が湯の調整に来ていて、湯の温度加減を気に掛けてくれる。露天風呂の少し上の岩場を登ったところに、源泉が吹き出て池のようにたまっている「釜」があり、源泉は98℃と熱いので、山の上から流れ落ちる地下水と混ぜ合わせて、その日、その時の適温に修正するという。源泉と地下水が流しそうめんのような木枠を伝わって、風呂に流れ込む。雨や風や自然の変化で、すぐに温度が変ってしまうというのだから、まさに自然の湯であり、それに人の手が加わる。山あいに建つ一軒宿だから、時折り熊や鹿なども見られるという。
「松原、確かに俺、こういうのってお好みです」
少しずつ又松原が可愛らしく思えて来た(笑)
岩手や秋田の山深い自然の中であったが、外来のタンポポの種が気流に乗って飛んで来て、生態系を壊すという。あの茶色い雪肌も、中国の黄砂の影響であるという。自然も人間も、決して近くにあるものだけの影響でなく、姿すら見えないものが多種多様な影響をもたらす。
マレーシアやインドネシアでは、過去100年間で、原生林の80%が消滅したといわれる。二酸化炭素を吸収する森林は破壊され、温暖化が加速され、その原木の多くは、日本を中心とした先進国が利用して来た。南極だけでなく、全世界の山岳氷河にも後退が見られ、山の雪解け水で支えられた地域の砂漠化が進む。人の便利と利用という進歩に比例して、自然は凄まじい勢いで後退していく。海も山も、我々生命に恵を与え続けてくれて、あげるだけあげ、取られるだけ。人間社会に取られて、姿を消して行くのだろう。
岩手や秋田の山深いところにさえ、外来のタンポポや黄砂による被害をお返しされている。
「松原、人間って本当に馬鹿もんだよなー」
どんな政治家や大企業のトップより、「ツイラビ首長」の教えが、100年前から正しかったんだよなー。
二泊三日の旅であった帰る寸前に、「わんこそば」を48杯も流れと勢いで食っちまった。
松原と別れた車中、この社会の馬鹿もんの一人である俺は、又眠っていた。
安田、昨日に引き続き、長文ですまんなー。
雀鬼

[写真:130]

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