■2006/05/01(月)
≪ Vol.115
ホリエモンが3億円の保釈金を積んで出て来た。中でダイエット効果があったのか大分細くなっていた。体といっしょに心の中もスマートになれればいいんだが、今流行の二世議員とは違って、若くとも「金肥り」になれるという可能性を示したことで、一部の若者達から賛同の声も上がっいるが、金権主義、金権亡者はその目標を果たしたとしても社会と一極化させる偏りを残す。彼に対する一敗を付けた者も金権主義者、ビジネスというリングの勝負付けであったのです。その勝負にまたしても正義の姿は見えない。
一方、6年の実刑判決を受けた戸塚ヨットスクール事件の戸塚校長が出所した。訓練生にスパルタ指導を行い、死者が出た事件であった。見識者の声は
「どんな理由があろうとも、暴力を振るう事は許されない。人は説得によって物事の理非をわきまえさせるものだ 」
戸塚校長は出所後も持論は変わらず、「体罰は教育」の一環であるという。スパルタ教育を肯定するつもりはないが、教育現場においては体罰を与える教育は、悪いところも良識者の集合体によって方針化されているが、子供達の暴力は減るどころか、凶悪事件の増加、低年齢化する傾向にある。
毎日のように、子供が親を殺し、親が子を殺害する事件が多発している。家庭、教育、社会の環境変化だけでは、とても解決できる問題ではなく、どう生きようが、被害者、加害者の立場は今や他人事とは言えぬほど、便利と利用とともに身近なところまで忍び寄ってきている。嘘と真、ごまかし、ごまかされどころか命のやり取りが平常の生活の中にも棲んでいる。
私自身の体験だが、子供の頃しょっちゅう親に張り飛ばされた。今思えば、何時だって私が悪かった。悪いことを言ったり、やったりしたからこそその量だけ張り倒された。そのころだって好き好んで張り倒されたいとは思わぬが、子供心に自分の方の悪さに気付いていた。親を恐い人だとは思っていなかったが、しかられることに納得感があった。
それほどの悪がきだったわりには、教師に手を上げられることはなかったが、唯一小学校5年生の時、新井良一先生という担任に目から火が出るようなゲンコツを頭に受けた。何時だって温かく私の毎日行なう悪さを許してくださっていた。新井先生の御顔は真っ赤な赤鬼のごとく目は怒りに燃えていた。その時の罪の深さは、私が低学年の障害がある女児の歩き方を、真似して笑っていた弱者に対する卑怯事であった。その日から今の年になっても恩師と思えるのは、小学校から大学を卒業するまで新井良一先生一人である。どれほど学問を導いてくれることより、新井先生の痛い「ゲンコツ」はその後の私にとって宝物以上の導きであった。
見識者が答える。「人は説得できる物事の理非をわきまえさせられる」
と理想を述べるが、人に言葉や行動で理非を理解してもらうことは難しい。それが可能なら、神や仏や聖書を読むことで人の世から悪さは消え去っても良いほどの年月が至っている。
俺は馬鹿者のせいかこの年になっても、この方のお話ならと行動も兼ねて、後ろ姿を受け止められる方は数人しかいない。今日の人々は利に対する気持ちは敏感だが、善悪に対する心は錆びている。ある教育関係の長の教育指針に
「数%の有能な人材を育て、他の多くの能力に欠ける者達は従順な素材となる。」
その指針の裏に、知識能力ある一部分の者達に他の者達は黙って従えば良いという思い入れが見て取れる。権力側から見れば、真に都合の良い教育であり、制度でもある。権力は何時の時代でも大衆を従わせることを望む。権力者の持つ不条理な悪行に大衆が怒りをもつことを恐れ、制度の中で押さえ込む。人に喜びがあるように「怒り」もあって修正がきく。今こそ筋が通った、骨のある怒りを求め、認め合える感情が必要視されよう。今は亡き私を本気で怒ってくださった母親や新井良一先生が懐かしい。
(注)この原稿はホームページ用ではありませんので保管して置いて下さい。
雀鬼
[写真:115]
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